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朝日新聞がんワクチン報道事件 第四の権力”悪意”の暴走(その2/4)

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■捏造
2010年10月15日の社会面2段目から3段目の記事を示す。

「 記者が今年7月、複数のがんを対象にペプチドの臨床試験を行っているある大学病院の関係者に、有害事象の情報が詳細に記された医科研病院の計画書を示 した。さらに医科研病院でも消化管出血があったことを伝えると、医科研側に情報提供を求めたこともあっただけに、この関係者は戸惑いを隠せなかった。
「私たちが知りたかった情報であり、患者にも知らされるべき情報だ。なぜ提供してくれなかったのだろうか」 」

この記事に対しては、10月29日、がんワクチンの臨床試験を進めているCaptivation Network臨床共同研究施設と関係者79名連名の抗議文が、朝日新聞社の秋山耿太郎社長と朝日新聞社内の『報道と人権委員会』あてに提出された。

「 我々の臨床研究ネットワーク施設の中で、出河編集委員、野呂論説委員から直接の対面取材に唯一、応じた施設は7月9日に取材を受けた大阪大学のみでし た。しかし、この大阪大学の関係者と、出河編集委員、野呂論説委員との取材の中では、記事に書かれている発言が全くのべられていないことを確認いたしまし た。したがって、われわれの中に、「関係者」とされる人物は存在しえず、我々の調査からは、10月15日朝刊社会面記事は極めて「捏造」の可能性が高いと 判断せざるを得ません。」

11月12日のCaptivation Networkからの2度目の抗議文は、170名の連名になっており、ほぼすべての関係者が網羅されたという。
これに対し、朝日新聞は11月30日の記事で、事実だと繰り返しただけで新たな証拠は提示していない。抗議文に署名した人数から考えて、「関係者」が存 在しなかったか、存在したとしてもよほど偏った意見の持ち主だったのではないか。科学者の世界に、妬みや恨みに起因する陰口がないわけではない。

調査対象を恣意的に選択して結果を一般化すれば、科学の世界では捏造とされる。報道だからといって、特殊な意見を、あたかも一般的なものとして、誰かを非難する根拠にしたとするならば、捏造としてよいのではないか。
卑劣な誹謗中傷なら、隠れていればよい。正当な意見なら、堂々と名乗りを上げて、主張すべきである。この主張の発信を朝日新聞が保障すれば、東京女子医 大事件で刑事被告人の立場に追い込まれた佐藤医師のようなメディアスクラム被害者と違って、言論の圧殺は生じない。捏造疑惑も簡単に雲散霧消する。医科研 や中村教授は、ナチス・ドイツではない。正当な意見を抑圧したり、迫害したりする権限・権力はない。無理に抑圧しようとすれば、自滅する。

そもそも、現代の医師は、国家や法であっても、状況によっては服従してはならないとされている。第二次大戦中、医師が、戦争犯罪に国家の命令で加担し た。これに対する反省から、戦後、医療における正しさを国家が決めるべきでないという合意が世界に広まった。国家に脅迫されても患者を害するなというの が、ニュルンベルグ綱領やジュネーブ宣言の命ずるところである。医師の行動は、国家や権力による命令ではなく、自身の知識と良心に基づく。行動の責任は、 自分で負う。朝日新聞の権力の陰に隠れることは、医師にふさわしい行動ではない。

■歪曲

10月20日、朝日新聞の記事に抗議するがん患者41団体の声明が発表された。当初、厚労省の記者クラブで会見をしたいと申し込んだが断られた。記者ク ラブ当番幹事の共同通信社から「協議の末、お受けできない」との回答があった。その後、ネット上で騒ぎが広がり、当番幹事の共同通信社は団体に対し謝罪し た。
がん患者41団体の声明は、経緯からも、朝日新聞の報道に対する抗議であることは間違いない。声明文を引用する。

「 治験や臨床試験では、一定のリスクがあることも忘れてはなりません。がん患者さんが参画する治験や臨床試験において、被験者の保護には十分すぎるほど の配慮が不可欠です。一方で、治験や臨床試験のリスクについては、正しい理解と適切な検証が必要であり、不確かな情報や不十分な検証に基づいて、治験や臨 床試験のリスクが評価されるべきではありません。特に、東京大学医科学研究所の臨床研究に関する報道を受けて、当該臨床研究のみならず、他のがん臨床研究 の停止という事態が生じました。がん臨床研究の停滞が生じることを強く憂慮します。
(中略)
臨床試験による有害事象などの報道に関しては、がん患者も含む一般国民の視点を考え、誤解を与えるような不適切な報道ではなく、事実をわかりやすく伝えるよう、冷静な報道を求めます。」

患者団体の声明の論旨は、不適切な報道で、臨床研究を止めないでほしいというものである。朝日新聞は翌10月21日この声明について報道した。以下が全文である。

「がんワクチン臨床試験問題 患者団体「研究の適性化を」
東京大医科学研究所が、附属病院でのがんペプチドワクチンの臨床試験で膵臓がん患者の被験者に起きた消化管出血を、ペプチドを提供した他施設に知らせてい なかった問題で、各地で活動するがん患者会の代表者らが20日、東京都内で記者会見し、新たな治療法や新薬の臨床研究を適切に進めるよう求める声明文を発 表した。
膵臓がん患者や家族らでつくる患者会「パンキャンジャパン」、卵巣がん体験者の会「スマイリー」など41団体が名を連ねた。
声明文では、(1)根拠とオープンな議論に基づく国のがん研究予算の拡充(2)被験者の十分な保護とともに、情報の広い開示、専門家によるオープンな議 論と検証(3)有害事象などの報道では、がん患者を含む一般国民の視点を考え、事実を分かりやすく伝えること―を求めている。」

消化管出血について、従来の呪文のような設定を繰り返し、声明文の最終部分から「誤解を与えるような不適切な報道ではなく」という文言を削除して引用し た。論旨を180度捻じ曲げたと言ってよい。この記事はわかりやすい。声明文と比較すれば、普通の読者は、「朝日新聞は、自分の都合で、記事を捻じ曲げる んだ。ここまであからさまにやるんだ」と感心してしまうだろう。抗議があっても、無視していれば、忘れられると判断したか、朝日新聞の権力で抑え込めると 判断したか、あるいは、習慣だっただけで判断が加わっていないのかもしれない。

捏造記事を、「本来ゼロのはずのところを10の偽情報を発信するもの」とすれば、発信情報の偽の絶対値は10である。歪曲記事を、「本来マイナス10の 情報をプラス10として発信するもの」とすれば、発信情報の偽の絶対値は20になる。この仮説によれば、捏造より、歪曲の方が悪質である。

■イトカワの記憶

中村祐輔教授は日本を代表するゲノム学者であり、ネイチャー関連雑誌などに年間10本程度の論文を掲載し続けている。医学者としての業績は日本のトップ といってよい。オバマ政権によってNIH(国立衛生研究所)の長官に指名されたフランシス・コリンズ博士とも、長年にわたり個人的関係を作ってきた。最近 は、個人としての研究より、マネジメントで日本の研究を前進させることに活動の軸を移してきた。中村祐輔教授を失えば、個人としての研究者を失う以上の大 きな影響が生じる。

小惑星イトカワから40年前の記憶をたどる。元気のない日本で、2010年の最も希望にあふれたニュースは、小惑星探査機はやぶさが、イトカワからその 微細なかけらを地球に持ち帰ったことであろう。イトカワは日本の宇宙開発の父、天才糸川英夫氏にちなむ。はやぶさは糸川氏が戦時中、設計に関与した戦闘機 の名称である。日本の探査チームが、この小惑星の発見者であり命名権を持つアメリカのチームに依頼して、イトカワと命名された。糸川氏はロケット学者だっ たが、システム工学の専門家でもあり、中村教授と同じく、マネジメントに長けた傑出したリーダーだった。
糸川氏はおもちゃのような小さなペンシル型ロケットから始めて、最終的には1970年の人工衛星おおすみの打ち上げにまでつなげた。しかし、人工衛星打 ち上げは4回失敗した。この失敗に対し、朝日新聞は反糸川キャンペーンを繰り返した。失敗は1面で大々的に取り上げたが、成功については、社会面で1行 だったらしい。糸川氏はおおすみ打ち上げ成功の3年前、東大教授辞任に追い込まれ、以後、ロケット開発に携わることはなかった。東大宇宙航空研究所を所管 する文部省と宇宙開発推進本部(後の宇宙開発事業団)を所管する科学技術庁の対立や、ロケット技術を輸出しようとしていたアメリカに、日本の技術の芽を守 ろうと糸川氏が猛反対したことが関係しているともされる。しかし、糸川失脚の主たる原因について、糸川氏本人は、記者の個人的妬みにあったと考えていたら しい。

浜田マキ子氏のブログ(浜田マキ子ジャーナル05年10月13日)に、1990年に糸川英夫氏がパリで行った連続講義の内容が掲載されている。浜田氏は講義の助手を務めた。講義の題は「ジェラシー(嫉妬)と、グラッジ(恨み・つらみ)」だった。
糸川氏と当時の朝日新聞の科学部長は若いころから因縁があったらしい。

「ジェラシーやグラッジは人間だれもが持っている向上心と裏腹なのである。ところが若いうちは、または若い君たちが仕事に夢中になっていると、まわりの人が君たちのその”純粋に夢中になれること”そのものも羨ましく思っているということにすら気づかないことが多い。
(中略)
僕の方は勉強をしているという意識などなくて、興味に駆られて文字通りしらみつぶしに問題をといていただけなのだけれど、結果として大変な量の勉強をしていたようだ。いわば僕は変人。彼は気の毒だけども、単なる秀才。
彼は勉強を勉強だと思ってやるから、興味にかられて虫のように問題に食らいついている僕の勉強量に追いつくのはたいへんだったのだ、ということを自分もあとで気がつくようにはなった。
だけどこの人にとってはどうも僕という存在そのものが悪、ずっと恨みを持ち続けていたようなのだ。本当は僕のことを一番知っていたのかもしれない。(モーツアルトとサリエリの逸話のよう)これが後年、私にとって大変に迷惑なことになったのだ。
(中略)
さて自分が人にたいして何の悪意もないからといって、自分の存在そのものが他人にとっては悪だということにもなるのが人間の悲しさです。」

個人的妬みや恨みは正義の思い込みと容易に結びつく。当時の、朝日新聞社に陰謀があったかどうか分からない。私には、単に、科学部長の暴走を制御できなかっただけのように思える。社会への影響力の大きさと制御の弱さは、新聞の宿命かもしれない。

2011年2月8日 MRIC by 医療ガバナンス学会

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