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院内事故調査委員会報告書の危険性 ~医療システムの内部に司法を持ち込むこと

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2014年6月の医療法改正で、医療事故調査制度が発足することになった。新しい制度では、院内事故調査委員会がすべての医療機関に設置される。遺族あるいは医療機関が医療事故調査・支援センターに調査を依頼したときは、医療事故調査・支援センターが調査を行う。
院内事故調査委員会はこれまで、多くの二次紛争を引き起こし(1,2,3,4)、いくつかの紛争は裁判所に持ち込まれた。いずれも、医療システムで安易に規範を扱ったこと、すなわち法的正しさに関わる判断に関与したことによる。医療と法の言語論理体系は大きく異なる(5)。法システムを医療システムに持ち込むことには大きなリスクがある(6)。規範を扱うためには、公平性の担保と個人の権利擁護のための厳密な手続、関係する職員の長く厳しい訓練、利益相反の厳密な排除、委員の免責などが必要だが、いずれも、医療システムに所属する院内事故調査委員会で到底できることではない。
多くの医療機関の医療安全管理の担当者は、事故調査の訓練を受けていない。公平性担保や権利擁護のための手続きについてほとんど知識を持たない。二次紛争から病院と自分を守る必要性も、そのために何をすべきなのか、何をしてはいけないのか理解していない。
医療事故調査・支援センターも同様であり、裁判所の代わりはできない。厳密には、委員は、医療界から離れなければ、利害から離脱することはできない。委員が踏み込んだ判断をすると、病院や医療従事者、患者家族から訴えられかねない。
紛争化した医療について適否を判断して、紛争を最終決着させる権限があるのは、裁判所だけである。これは、裁判所が常に正しいからではなく、憲法で司法権が裁判所に委ねられているからである。院内事故調査委員会にはこのような権限はない。報告書の作成にはリスクが付きまとう。委員が二次紛争の当事者になりかねない。最終的な裁判所の判断と齟齬があれば、法的責任を問われかねない。裁判所の判断を忖度せざるを得ないとすれば、もはや医療内部の問題ではない。
司法、政治、メディアはものごとがうまくいかないとき、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。これに対し、医療、工学、航空運輸などの世界では、うまくいかないことがあると、研究や試行錯誤を繰り返して、自らの知識・技術を進歩させようとする。あるいは、規範そのものを変更しようとする。社会学者ニクラス・ルーマンは、司法・政治・メディアなどを規範的予期類型、医療・工学・航空運輸などを認知的予期類型に大別し、両者の考え方の違いを整理した。「(違背にあって)学習するかしないか それが違いだ」とルーマンは表現している。地動説に対する宗教裁判は、規範的予期類型が認知的予期類型を押しつぶした歴史的一例である。
そもそも科学における真理は仮説的であり、暫定的な真理にすぎない。正しさが法律や神学のような規範で固定されないので、さまざまな意見が出され、議論が継続し、進歩が生まれる。医療機能評価機構が行っている医療事故情報収集等事業のこれまでの報告書を見る限り、個別医療事故の詳細な情報は必ずしも医療安全に寄与しない(7)。医療安全対策は個別医療機関ごとに総合的に考えるべきものである。学問レベルでは、さまざまな仮説が提示され、紆余曲折を繰り返しながら進歩していく。
このことは演繹と帰納という観点からも理解できる。一部の法律家は規範を絶対視し、規範から演繹的に物事を判断することを当然とする。科学者は、仮説を証明するために、一定条件の対象を適切な方法で検討し、仮説が真かどうかを検証する。科学的真理とは、対象と方法に依存した仮説的真理である。真理の表現方法、精度、限界は方法に依存している。一部の法律家は、この仮説的真理という醒めた見方を持つことができないため、白か黒かを無理やり決めようとする。さらに規範が適切かどうかを、現実からの帰納で検証する方法と習慣を持たない。無理なものでも、規範として押し通してしまう。
院内事故調査委員会で報告書を作成するかどうか、それを患者側に渡すかどうかが議論になっている。筆者の知る限り病院は、医事紛争の処理に際し、紛争解決のコスト(金銭、時間、感情)の総量を小さくすることを基本原理としている。気の毒な事例に対して、過失の有無や病院の利益を言い募らずに、補償することは現実的選択である。報告書は紛争解決のための柔軟性を阻害する。文書で固定された判断を求めるのなら、最初から裁判で争えばよい。実は、裁判所も紛争解決の経済性を重視している。判決ではなく、和解を優先したがるのも、このためである。
一方で、紛争の拡大が利益に直結する人たちが世の中には存在する。利益相反が疑われる事例もある。
「三井記念病院事件では、歯科麻酔の研修中の歯科医が麻酔をかけたことが問題となった。72歳男性は、9年間透析を継続してきた。循環器系に問題を有するハイリスク患者だった。麻酔導入時に心停止し蘇生できなかった。病理解剖で急性心筋梗塞が死因と判断された。
日本麻酔科学会と日本歯科麻酔学会は、2学会合同特別調査委員会を設置した。この委員会に外部委員として医療問題弁護団代表の鈴木利廣弁護士が参加した。鈴木弁護士は、2007年9月14日の報告書の末尾に個人の意見を加えた。厚労省の2002年7月10日の「歯科医師の医科麻酔科研修のガイドラインについて」を取り上げ、「本ガイドラインの逸脱があれば、研修歯科医は医師法17条違反罪に問われ、指導医等はその共同正犯、教唆、幇助(従犯)に問われる」とした。2008年12月4日の共同通信社の記事は、「遺族の代理人の大森夏織(おおもり・かおり)弁護士は『遺族は、病院独自の事故調査委員会による調査や説明に納得しておらず、司法の手による真相究明を希望している』としている」と報じた。大森夏織弁護士は当時から医療問題弁護団の中心メンバーであり、2012年9月25日段階で、医療問題弁護団の副幹事長である。」(8)

「(産科医療保障制度の原因分析委員会の)報告書は分娩機関の利害にかかわる。弁護士は同種事件で利害関係を持つ可能性がある。当然、原因分析委員会、調整委員会の委員には利益相反があってはならない。医療問題弁護団の鈴木利廣代表は、産科医療補償制度の運営委員会、原因分析委員会の委員である。大森香織副幹事長は、原因分析委員会第四部会の委員である。他にも私の分かる範囲で数名、医療問題弁護団所属の弁護士が委員に就任している。
医療問題弁護団のホームページによれば、2012年9月現在250名の弁護士が参加し、内部に「弁護団による集団的検討のシステム」を構築している。ホームページには以下のような文言が並ぶ。
『集団の知恵でより質の高い活動ができるように努力しています。』『所属弁護士を4つの班に分け、相談活動は班を単位として活動しています。相談を担当する弁護士は必ずいずれかの班に所属しています。』『相談ケースや受任したケースについて弁護士同士で討議します。』
産科医療補償制度には毎年、300億円の公金が投入されている。特に公的性格の強い分野なので、利益相反の懸念を生じさせないような対策が望まれる。」(9)

日本の医療保険制度は、医療の恩恵を国民が広く享受できるようにするための制度である。このため、世界と比較して、医療にかけられている費用は小さい。また、紛争によるコストを医療費に上乗せできる仕組みになっていない。
一方で、医療事故をめぐる紛争を解決するためには、司法はなくてはならない。しかし、医療システムの内部に司法が持ち込まれると、紛争が大幅に拡大される可能性がある。紛争が拡大されれば、解決のための労力や費用も当然増加する。医療のための限られた資源を、一部の人たちが費消することになれば、日本の医療システムが損なわれかねない。

文献
1)小松秀樹, 井上清成:「院内事故調査委員会」についての論点と考え方. 医学のあゆみ, 230, 313-320, 2009.
2) 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える. m3.com医療維新, Vol.1 2010年4月26日,

http://www.m3.com/iryoIshin/article/119297/

3) 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える. m3.com医療維新. Vol.2, 2010年4月28日

http://www.m3.com/iryoIshin/article/119298/

4) 小松秀樹:東京女子医大院内事故調査委員会 医師と弁護士の責任を考える. m3.com医療維新. Vol.3, 2010年4月30日

http://www.m3.com/iryoIshin/article/119299/

5)小松秀樹:司法と医療 言語論理体系の齟齬. ジュリスト, 1346, 2-6, 2007.12.
6)小松秀樹:死因究明制度に関する厚労省第二次私案発表に寄せて 医療の内部に司法を持ち込むことのリスク. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン: 臨時Vol 45, 2007年10月27日. http://medg.jp/mt/?p=489
7)小松秀樹:規範的医療事故報告制度と認知的医療事故報告制度
8)小松秀樹:医療事故調問題の本質1:開業医は院内事故調査委員会に耐えうるか. MRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.682, 2012年12月20日. http://medg.jp/mt/2012/12/vol6821.html#more
9)小松秀樹:医療事故調問題の本質4:産科医療補償制度と特別裁判所. MRIC by 医療ガバナンス学会.メールマガジン; Vol.10, 2013年1月12日.

http://medg.jp/mt/2013/01/vol104-1.html#more

(2015年02月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会)

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