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終わりの始まり(8):EU難民問題の行方

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ドイツ連邦共和国のアンゲラ・メルケル首相は、今どんな思いでいるのだろうか。EUに押し寄せる難民の状況は、メディアに頼れば目前の光景のように映る。疲れ切って異国の道をただひたすら歩く人々の長い列。ほとんどの人たちは、さしたる持ち物もない。子供を連れている人もいる。母国を離れる時にはあったかもしれないわずかな金銭や貴金属、装身具なども、旅の途上で悪質なトラフィッカーなどに奪い取られていることも多い。そして、終わりの見えない旅の途上で、彼らが頼りとするヨーロッパの国々は、次々と国境を閉ざしている。不確かな情報を頼りに、彼らを受け入れてくれると期待するドイツやスエーデンを目指して歩き続ける。その行く手は急速に暗さを増している。これが21世紀の現実なのだ。このブログがひとつのテーマとしてきた17世紀ヨーロッパの光景が重なって見えてくる。

折しも、11月10日、ドイツ連邦共和国のヘルムート・シュミット元首相が逝去された。同氏を追悼して、フランスのオランド大統領は、シュミット氏を「偉大なる欧州人」と、その功績を称えた。ヨーロッパの文化の深さを感じさせた偉大な政治家であった。

シュミット氏の逝去より少し前に発行されたThe Economist (November 7th-13th 2015)が、アンゲラ・メルケル首相を表紙に掲げ、「かけがえのないヨーロッパ人」 “The indispensable European” と評していることを思い起こした。メルケル首相はいまやヨーロッパの運命を大きく左右する政治家となった。EUの多くの国が、政治、経済などの面で、分裂、不安定化し(「バルカン化」)、ヨーロッパ全体を構想するキャパシティを失っている中で、メルケル首相の率いるドイツのみがその力を保持し、影響力を拡大してきた。

見方によっては「ヨーロッパのドイツ、ドイツのヨーロッパ」となっている。これまでのドイツは、そうした評価がなされることをできるかぎり回避してきた。しかし、このたびの難民問題で、各国は自国の問題で精一杯で、今回のようなEU全域にわたる問題は、メルケル首相の力量とそれを支えているドイツ連邦共和国の基盤に期待する以外になくなっている。

2015年11月13日、金曜日
フランスのオランド大統領も、足下がおぼつかなく、独自の方向を示すことはできない。今はメルケル首相との形だけの二人三脚?で、なんとか体面を保っている。このブログを書いている時に、パリでの同時テロが勃発、フランスは国家非常事態宣言の下で、国境も封鎖されることになった。

このようなテロ活動の根源も、移民問題とどこかでつながっている可能性はある。メディアにはISの犯行との推測も流れているが、今それを確かめることはできない。ただ、フランスがこうした事態を迎え、事態の掌握と対策に手間取る間、EUを支える重責は、一段とメルケル首相の両肩にかかることになった。ドイツ国内でも、難民受け入れについては、反対の動きが急速に高まっている。そのことは、当然メルケル首相にも伝わっていることであり、ドイツ連邦共和国も国境管理を厳しくし、難民の受け入れも9月頃の状況とは様変わりしている。メルケル首相自身、事態がこれほどまで拡大、悪化するとは想定していなかったのではないか。

難民・移民問題は、その原因や結果について、経済学などの力を借りて論理的な推論は出来ても、現実にはきわめて対応が難しい政治課題だ。図らずもこれまでのメルケル首相の政治経歴を思い起こしていた。

メルケル首相の行動からみえてくるもの
2000年4月に彼女がCDU党首に就任する前から、ドイツの友人たちからアンゲラ・メルケル女史のことはかなりつぶさに聞かされ、また関心も抱いてきた。最初の党首就任当時は、大変地味な印象であった。「コールのお嬢さん」 Kohls Mädchen と呼ばれていたことも思い出した(その後は「鉄のお嬢さん」 Eisernes 。Mädchen に変わったようだ)。そのコール元首相とも、一時は対立していた。当時も今もほとんど変わらない簡素なデザインの服装で、きわめて地味な印象を与えてきた。

政治の舞台に登場した当初から、アンゲラ・メルケル首相の言動からは、亡くなったサッチャー首相や、オバマ後の大統領を目指すクリントン女史のような派手さや言動の振幅はあまり感じられない。東ドイツ出身でプロテスタント教会の牧師夫妻の家庭に生まれ、物理学の学位を持つ背景も、その後の行動様式に影響を与えたのだろうか。

政治の世界に登場した頃から今日までの政治活動を見ていると、きわめて強靱な精神の持ち主であることが分かってきた。時には保守系でありながら、驚くほどラディカルなネオリベラルな方針を維持し、ひとたび舵を切ると、かなり頑強にその維持に徹してきた面も感じられる。それでも、党勢不利などの政治的潮目における転換は、きわめて迅速であった。今回の難民問題は、事態を読み違えた感がある。しかし、事態の理解と政策の力点については確かなものであると感じられる。他の加盟国の反対も承知の上で、トルコを政策上の最大拠点に考えている。これはトルコの外交上の立場を強めることになるが、EUにとっても残された数少ない選択だろう。トルコ国内でほとんど充満状態にあるシリアなどからの難民が、トルコから一挙に流出することになれば、EU諸国の混乱はさらに加速することになる。折からG20サミットも、トルコで開催されることになっており、テロ問題も難民問題と併せて議論の俎上にのぼることは間違いなくなった。

難民・移民はそれが「問題」となる前の段階で、対処しなければならない。シリア難民のようにシリアが自らの力では事態を収拾、沈静化することができないほどになってしまうと、国民が難民、移民として国外流出することになり、国際的に問題化する。さらに、現在進行中の事態のように、ISを含めた外国勢力の争奪の場となってしまうと、もはや手遅れとなる。 シリアの内戦が終結し、海外に難民・移民として逃れた国民が母国へ戻ってくるまでには、長い年月を要することになる。

流浪の民と化す難民とEU
今回のパリの同時テロも、テロリストへの厳戒の下で起きたといわれる。国外から入り込むテロリストを未然に防止するため、国境管理は一段と強化されることは間違いない。難民への寛容な対応を説いてきたメルケル首相は、いかなる対応をみせることになるか。国境管理の強化などの対策は抜け目なく手が打たれていることだろう。次第に行き場を失うシリアなどからの難民がいかなることになるか。シリアやエトルリアの戦火が終息する見通しはまだ見えていない。混迷が深まる中で、メルケル首相は文字通りヨーロッパにとって「かけがえのない人」となった。その采配にヨーロッパはさらに依存を深めることになる。

続く

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