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終わりの始まり(2):EU難民問題の行方

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果てしなく続く線路を着の身着のまま歩く人たち、誰かが動けば一瞬にして転覆しそうなボートに救命具もつけずに満載された人たち。まだ幼い子供の姿もある。
世界の人々の目がシリアや北アフリカからの移民の実態に目を奪われて いた時、日本は安全保障法案をめぐる国会の動きに、騒然とした日々を送っていた。日本の政府・与党関係者は、EUのことなど考えていられなかったのだろう。菅義偉官房長官は9月11日午後の記者会見で、難民の受け入れについて「現時点において欧州連合(EU)から要請はない」と明らかにした。その上で「国際社会と連携しながら、わが国ができることはしっかりやっていきたい」との見解を示した[東京 11日 ロイター]*。 恐らく、他の時であっても日本はほぼ同じ見解表示であったに違いない。日本は難民に厳しい国という評価が定着している。

真に評価される国際協力とは、どこから要請がなくとも、こうした事態に自発的に支援の手を延べることではないか。対応の迅速性がその国の評価を定める。ヨーロッパで問題が深刻化するや、アメリカ、オーストラリアなどは、直ちに一定数のシリア難民受け入れを表明した。アメリカは難民受け入れ数を今の約7万人から2017会計年度(16年10月から17年9月)に10万人にまで拡大すると発表した。シリアからは最低1万人は受け入れる準備があるとしている。

エクソダス(大脱出):その行く先は
このたびのヨーロッパでの難民問題のように、人の移動は実際に発生するときわめて対応が難しい。国際化に伴って、ヒト、モノ、カネの移動が拡大した。ヒトの移動はモノ、カネにはない難しさがある。移動する人自らが意志決定して行動する。そのため、モノ、カネとは異なった思いもかけない動きが生まれる。

最近のヨーロッパ大陸に起きている難民の移動をEXODUS (旧約聖書「出エジプト記」にあるイスラエル人のエジプト脱出)にたとえる報道もある(The Economist September 12th-18th) 2015。激しい内戦の場と化したシリアに見切りをつけ、祖国を出て行く彼らに安住の地は告げられているのだろうか。

難民・移民問題が「外国人労働者」という形で注目を集めるようになった1980年代以降、日本人の考え方には大きな変化はないが、実態は大きく変化した。外国人労働者はもはや珍しい存在ではなくなった。過去40年近くにわたり、問題を観察してきたが、この分野で日本が世界で主導的あるいは積極的に動いたことはほとんどなかった。むしろ、世界から批判されるような制度を存続させてきた。

ヒト、モノ、カネの自由化の動きで、ヒトの移動が最も難しい問題を秘めている。現在進行している難民問題のように、突如としてEUなどの存立基盤を脅かしかねない動きが起きる。ヨーロッパ諸国のように、長い移民・難民にかかわる歴史を持っている国々でも、対応に苦慮する事態が突如として起きる。幸い,日本は経済成長にほぼ見合った人口増加などがあったことで、深刻な事態を経験することなく、今日までやってこられた。しかし、その基盤がいつまでも安定ではありえないことは、いうまでもない。

想像したくもない光景だが、中国大陸や北朝鮮などに万一政治的・経済的破綻が生じ、多数の難民が流出するような事態が、将来起きないとは誰も保証できない。実際、1949年、中国での共産党との内戦に敗れ、台湾に中華民国中央政府が移転した時、正確な数字は今もって不明のようだが、1945年から1950年前後までにおよそ100―250万人の人々(軍人・軍属、国民党・政府関係者、難民など)が台湾に流入したと推定されている。流入前の当時の台湾の人口は約600万人だった。戦後、中国と台湾が外交上の緊張関係にあった当時、台湾では、こうした事態が発生した場合の対応が真剣に議論されたことがあった。

EUのヒロイン、メルケル首相の今後
EUが難民問題への対応に騒然とし始めた頃、ドイツのメルケル首相は率先して矢継ぎ早に自国への受け入れに動き、フランス、イギリスなどの説得に奔走してきた。EUはシリア、イラクなどからの難民計16万人を、今後2年間で受け入れるよう各国別に割り当てる案を加盟国に示した。これに対して、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、バルト3国など中・東欧諸国は、割り当ての義務づけに強く反対した。英国、デンマーク、アイルランドはEUの移民政策の適用除外国になっていた。

ギリシャ問題など山積するEUの難問に果敢に挑戦するメルケル首相には、今回の対応では率先して動き、「人道主義のヒロイン」との讃辞が寄せられていた。ハンガリーから、オーストリアを経由してドイツへ到着する難民満載の列車を、市民が花束や食料を持って出迎える光景は、難民にとっては、やっと「安住の地」へたどり着けたという安堵感を生みだした。大規模な仮設テントと水、食料,衣服などが余るほど準備されていた。

ドイツだけでは解決できない!
ドイツが人道的で寛容な国というイメージは格段に高まった。しかし、ドイツがいくら寛容であっても、受け入れには限度がある。冬が近づけば、仮設テントの生活は続けられず、より恒久的な難民用アパートなどへの収用体制が求められる。難民申請を受理してから、審査には最低でも半年を要するといわれる。ドイツは想定を越えて急増する難民・移民に対応することが不可能になった。

今回はドイツといえども、受け入れにも限度があると感じたのだろう。メルケル首相は事態の急変に、厳しい姿勢に転換、オーストリアとの国境管理を再開すると声明、オーストリア、スロヴァキア、オランダなども独自に国境管理の強化に転換するとした。これらの措置は、加盟国間の自由な人の移動を認めるシェンゲン協定に違反するものではなく、一時的な暫定措置としているが、国境を以前のように自由な域内移動を認める方向で再開する目途はない。

メルケル首相はEU加盟国への協力を求め、EUは9月22日、緊急の内相理事会を開催、シリアなどからの難民のうち、すでに受け入れが決まっている4万人を除く計12万人を加盟国に人口や経済力の基づいて割り当てる案でいちおう合意に達した。

他方、EU内部では難民受け入れに強硬な態度をとる国もあり、たとえば、EUの東側でシリア難民などの最初の入国あるいは経由地になるハンガリーは、事態の急変とともにセルビアとの国境に有刺鉄線を張り巡らし、催涙ガスまで使用して難民の入国を拒んだ。ハンガリー政府は、さらに障壁をルーマニアとの国境にまで設置するとして周辺諸国からも反発を生んでいる。

EUの命運を定める難民・移民政策
難民の数にしておよそ16万人の規模までは、なんとか対応できるかもしれない。しかし、ポーランドのように国内世論が割り当ての受け入れに反対する動きなどがあり、予断を許さない。フランス、ドイツなど受け入れ数が多い国では、地域経済などへの影響もあり、反対が強まるかもしれない。

ITネットワークの発達などで、情報伝達が迅速になったことで、移民、難民など当事者の行動もかなり変化はしている。しかし、ひとたびドイツへ向かうことを決めた難民には、簡単に目的の国を変更する余裕はない。ドイツが当初ほど寛容な難民受け入れが難しくなっているということはすでに伝わっているだろう。しかし、彼らは少しでも入口が開いていると考えるドイツへ向けて歩き、入国を果たし、庇護申請をしようとする。ちなみにEUでは難民は、最初に到着した国で認定手続きを行うことになっている(ダブリン・ルール)。

後戻りするヨーロッパ?
2015年のEUの難民申請数は前年の3倍を越える200万人に達するとみられている。審査を難しくする要因のひとつは、難民と経済的移民の区別が実際上、きわめて困難なことにある。仮に祖国を追われた難民といえども、受け入れたからにはできるかぎり早く自立してもらわねばならない。ハンガリー、ポーランド、スロヴァキア、チェコなどの東欧・中欧諸国は自国民の雇用機会が難民によって奪われると危惧している。実際にはこうした国々は、人口減少が大きく、国内には看護・介護、建設あるいはIT分野で深刻な人手不足が生じている。しかし、仕事の機会についての情報はなかなか正確に当事者に伝わらない。

ヒトの移動の自由化は、モノ、カネの自由化以上にEUの最重要な理念である。しかし、このたびの難民流入で、再び強固な国境で分断されることになれば、EUが理想としてきた構図は事実上崩壊することになる。強靱な思考と迅速な行動で、これまで幾度もの危機を救ってきたメルケル首相だが、いかなる心境なのだろうか。

* 9月15日法務省は今後5年間にわたる難民認定制度の運用方針を含む「第5次出入国管理基本計画」を公表した。紛争避難者の在留を認める内容だが、シリア難民などの受け入れを念頭に置いているわけではない。今後の受け入れ数は未知数のままである。(『朝日新聞』2015年9月15日夕刊。

Reference

“EXODUS” The Economist September 12th-18tj 2015

経済開発協力機構(OECD)は9月22日、ヨーロッパでの難民申請は最大で100万件に達するとの見通しを示した。(OECD. Migration Outlook, 2015)

Informateion

9月22日の臨時内相・法相理事会でほぼ内定した12万人の難民分担内訳:
振り分け先が決まった分: 66,000
ドイツ           17,036人
フランス          12,962
スペイン          8,113
ポーランド         5,082

反対した中東欧諸国への割り振り
ルーマニア        2,475
チェコ            1,591
ハンガリー         1,294
スロヴァキア         802

残る54,000人は1年後に改めて割り当てる

★「すべてが終わるまでは、終わりではない」(It ain’t over til it’s over ヨギ・ベラの言葉と伝えられる。)
アメリカ野球史上に大きな足跡を残した捕手でニューヨーク・ヤンキースなどの監督もつとめたヨギ・ベラ Lawrence Peter “Berra” Lawrence さんが9月22日、90歳で亡くなったことを知った。ご自宅はニュー・ジャージー州モントクレアにあり、ご近所に住んでいた友人の縁で偶然にお会いした。現役を引退し、ヤンキーズの監督に就任された年であったと思う。今のように日本人選手の数は少なく、覚えているのはサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍されていた村上雅則投手くらいだった。心からご冥福をお祈りしたい。

追記(2015/10/04)
The Economist October 3rd-9th 2015 が上記の言葉をタイトルとして、追悼録を掲載している。、

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