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右脳インタビュー 森 英介

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片岡:  今月の右脳インタビューは森英介さんです。森さんは長年にわたって原発推進の立場で取り組んでこられましたが、本日はそうした視点からお話をお伺いしたいと思います。

森:  まず、私自身の背景からお話したいと思います。私は東北大学で金属工学を専攻し、卒業後、川崎重工業に入社、神戸工場の技術研究所溶接研究室の配属となりました。1年間の造船所の現場での実習が終わると、原子力構造物の新しい溶接技術の開発というテーマを主な任務として与えられました。しかし、こういう分野については、私はもとより私の研究室で知識を持っている者がいませんでした。そこで、何はともあれ原子力について勉強して来いということで、東海村の日本原子力研究所(現 日本原子力研究開発機構)に外来研究員として送り込まれました。その1年間がその後の私の人生を決定しました。
会社に戻ってからは、折々に潜水艦やLNG船、航空機・宇宙等々実に多岐にわたる分野の溶接研究に従事しましたが、研究所時代を通じて継続して担当したのは、原子力構造物の新しい溶接技術の研究開発でした。そして、会社に入ってちょうど10年目に、「原子力高温配管への電子ビーム溶接の適用」と題する研究成果で名古屋大学から工学博士号を取得しました。
39歳の時に衆議院議員であった父が亡くなり、その後継として政界に転じました。議員となっ てからは、一貫して原子力推進の立場で行動してまいりました。早い話が、私は、まさに反原発派が言うところの“原子力村の住民”です。
私は、人類のこれからの最大の問題は、有限な資源と地球環境の問題だと思っています。人類の歴史は産業革命により二分され、産業革命以降、人類は地球環境に強く影響を与えるようになりました。あらゆる分野のイノベーションが起こって大量生産大量消費となり、また医療や公衆衛生も発達して人の平均寿命も延びました。結果として、人口は爆発的に増加し、人類の活動に由来する大気中の炭酸ガスもうなぎ登りに上昇しています。ここ半世紀ぐらいは文明の負の面が顕在化してきました。太陽光や風力に過大な期待を寄せる向きもありますが、それらはエネルギー密度が低く膨大な面積を必要とする上に、安定的にエネルギーを得られず、経済的に自立出来ません。EPR比(エネルギー収支比、Energy Payback Ratio)が極めて低いことからも、到底、化石燃料に取って代れるエネルギー源ではありません。
なお、核融合炉が実現すれば、人類のエネルギー問題はあらかた解消されると思います。しかし、実用化するにはまだまだ長い道のりが掛かるでしょう。従って、その間はどうしても核分裂を最大限活用しなければなりません。このまま化石燃料を濫費していけば、炭酸ガス濃度がどんどん増えて温暖化を加速します。海面上昇も続き、モルディブのような島嶼国は今世紀末には水没してしまうでしょう。温暖化が引き起こすリスクは制御不能です。原発にもリスクはありますが、リスクを制御できる可能性があります。いずれにしてもリスクがあるならば、制御不能なリスクよりも制御可能なリスクを選んだ方が良いことは申すまでもありません。

片岡:  発展が遅れてでも、もっと技術レベルを高めてから原子力の本格化させるという選択肢はあるのでしょうか。

森:  近年の炭酸ガス濃度の急上昇を考えると待ったなしだと思っています。それに今や世界中でどんどん原発を作っています。その中で、本当に確かな原子力技術を持っているのは日本の会社とフランスのアレヴァぐらいではないかと思います。例えば、原子炉の圧力容器は、今はほぼ日本製鋼所が市場を独占していますが、これは大砲の製造技術がもととなったものです。また日本は今回の福島の事故で多くのことを学びました。廃炉技術についても世界をリードしていくでしょう。
日本のそうした地位を維持するためには、人材が大切です。技術の継承のためにモノを作り続けるというのは、技術屋の論理と誹りを受けるかもしれませが、人類の将来にとって本当に必要な技術であれば、そのぐらいのことを考えた方が良いと思います。一例として、本四架橋やアクアラインを作ったころの我が国の橋梁技術は凄かったのですが、作るものがなくなると衰退の一途です。これから世界中で原発が建設されていく中で、日本のように高い技術を持ったところが脱落してしまいますと、結果として、リスクを高めてしまうことになるでしょう。日本がしっかりして、世界の原子力のイニシアティブをとっていかないといけないと思う所以です。
このように、私は原子力を推進してきましたが、それはそれとして、エネルギー安全保障の観点からも資源維持の観点からも、エネルギー源は多様化すべきです。すなわち、適切なポートフォリオにしていくことが大切です。エネルギー、食料、空気、水などは、人類が存続する上で必要不可欠なリソースです。ところが、これらのリソースは、トレードオフ、つまり、あちら立てればこちら立たずの関係にあります。例えば、食料を十分に確保するためには、膨大な水を必要とし、水不足を惹き起します。ですから「炭酸ガス何十%削減」、「脱原発」というような一点豪華主義的な考え方を採ると、必ずどこかにしわ寄せが行きます。従って、常に多元連立方程式を解くような姿勢で全体のポートフォリオを決めていかないといけません。また、最近漠然と考えていることは、本当に市場主義のみに依拠してやっていって大丈夫なのだろうかという疑問です。自由主義経済を前提としつつもある程度管理型の制度を取り入れていかないと、人類が存続できなくなるのではないかという気がします。

片岡:  エネルギー安全保障を考える場合、どういったシミュレーションがなされているのでしょうか? 例えば日中、或は米中や露の緊張が…といった具体的な…。

森:  そこまで、精緻にはやっていません。資源論とか環境論のアプローチですね。実は、私は,日本・ウクライナ友好議員連盟の会長をしております。ウクライナの問題は、もとをたどると有力なエネルギー源が国内にないということです。ソ連が解体した当時、ウクライナは国土も広く、肥沃な穀倉地帯で工業力もありました。だから最初に飛躍すると見られていたのですが、実際は、いつまでたっても飛躍しなかった。ソ連の時代には天然ガスが殆どタダで(現ロシアから)供給されていたのですが、今は買わないといけません。ロシアは、ウクライナがEUの方を向くと供給を絞る、或いは、値段を吊り上げる。それが手かせ足かせとなっていきました。それでもヨーロッパに近づこうという機運が高まり、親ロシア派のヤヌコビッチ前大統領を打倒し、同大統領はロシアへ亡命しました。その結果、プーチンは激怒し、ウクライナに攻め込み、クリミアを併合してしまいました。ウクライナのような陸続きの国でさえ、エネルギーは国の命運を左右します。ましてや日本のように四方を海に囲まれている国の場合、エネルギーの確保には、余計困難が伴います。しかし、原発があれば、高速炉まで実用化できれば、事実上、果てしなくエネルギーを得ることができます。

片岡:  核の技術体系を持っておきたいという面もあるのでしょうか。

森:  確かにそれもあるでしょう。核融合について言えば、トカマク、ヘリカル、レーザーと三つの方式があります。現在最も進んでいるのは、トカマク方式で、フランスのカダラッシュで国際協力によりITER核融合実験装置の建設が進められています。その中で日本は大きな役割を果たしており、自民党もこのプロジェクトをしっかりバックアップしています。他方、大阪大学が中心となってやっているレーザー方式ですが、これは武器に転用可能な要素技術が多くあります。だからというわけではありませんが、技術のすそ野を広げるためにもこの方式も並行して開発を推進していかなければならないと考えています。

片岡:  ところで、森さんは、原子力規制委員会を監視する衆議院原子力問題調査特別委員長もなさっておられましたね。

森:  これまで技術者としても政治家としても一貫して原子力発電を推進する立場で活動してきました。それだけに、私としては、福島原発の事故は、自分の存在基盤を揺るがすような衝撃的な出来事でした。自省も含めて一からとことん考え直してみました。そして、自分なりにあらゆる角度から検討してみました。その結果、やはり原子力発電の必要性を否定することはできませんでした。しかし、あれだけの事故を惹き起してしまったのだから、原子力発電の利用を継続するためには、抜本的な意識改革をしなければいけないと考えました。そのような思いでいる時に原子力問題調査特別委員会の初代委員長に任命され、これこそ天命だと思いました。
私ほど長年にわたって原子力問題に取り組んできた議員はいないと自負しています。ネットでは、原子力村の住人が委員長に就任と揶揄もされました。確かにその通りです。しかし、だからこそ、これまでの原子力推進体制の問題点がわかるということも言えます。心の中でそう反論しつつ、委員長就任にあたり、私は、まず、国会事故調の黒川清委員長のお話を伺うことから事を始めました。「規制当局が推進側の虜になっていた」、「日本には安全文化が欠如していた」という国会事故調における黒川先生のご指摘は、まさに問題の本質を衝いていると思ったからです。黒川先生は、このように問題点を指摘されましたが、だからといって、原発の利用を「やめろ」というのではなく、「再開するとすれば、そういうことをきちんとしないといけない」とも仰っていました。
私はそれを一つの羅針盤として、委員長職に取り組みました。そもそも、原子力委員会を監視するといっても、判断はあくまでも原子力委員会が科学的、合理的に為すべきことで、国会が判断に介入するのは適切ではありません。衆議院原子力問題特別委員会の役割は、原子力規制委員会が合理的、科学的判断をするための環境作りをすることだろうと考えました。原子力推進派、反対派の双方から原子力規制委員会に対する不満や批判が寄せられましたが、そういう外圧に対しては防波堤の役割を果したつもりです。
ただ、民主党政権時代の偏った判断で、東電と関係があったというだけの理由で斯界の第一人者の学者が有識者会合のメンバーから排除されているなど不合理な面もいろいろありましたが、改善するに至らなかったのは不本意でした。

片岡:  「極端に」排除するというのは、我が国の特徴かもしれません…。さて、原発問題では、原発に対する国民の本能的な恐れのようなものができてきていますね。

森:  私の地元の千葉県でも、今、指定廃棄物の保管を巡って、問題が起っています。県内の除染作業等で発生した放射性物質のうち一定レベル以上のいわゆる指定廃棄物を一か所に集めて保管する方針が国から示されました。しかし、なかなか地元住民や自治体の理解が得られません。町中にある病院に保管してある医療用の放射性物質などと比べても放射能レベルははるかに低いのですが、漠然とした不安感が空気を支配してしまいます。つくづく難しいものだと思います。それと説明技術の重要性を改めて痛感します。
話は変りますが、一昨年フランスの原子力発電所を視察しました。その時、案内してくれた発電所の幹部に「ドイツは自然エネルギーが盛んなのになぜフランスはやらないのですか」と質問してみました。そうしたところ、「ドイツは石炭の埋蔵量が多い上に、パイプラインで天然ガスを入れやすい。しかし、フランスはその二つの条件がない。従って、原子力をやるのは当然だ」と事もなげに言いました。

片岡:  フランスではどうやって国民の理解を得たのでしょうか?

森:  たぶんフランス人も、大多数が原子力を支持しているわけではなく、世論調査をすれば、反対という人が半数ぐらい出るのではないでしょうか。 日本の新聞のパリ支局長が「フランス人は普段はいい加減な面も多いが、テロなどが起きると、その時の対応は毅然としていて、人質に犠牲者が出ても、それほど批判が起きない。いざというときは、決然とやってしまう。」といっていました。フランスにはそういう国の形が存在する。今の日本は、そこが弱いような気がします。

片岡:  危機管理意識もそうですし、先程の本能的な恐れもそうですが、結局、国家や政治家に対する信頼が大きく影響します。原発問題では、国に対する不信感も未だ大きく、その上、ネット社会は政治家個人に、かつてのようなカリスマ性を許しませんね。

森:  それは、そうです。原発事故への対応の過程でどんどん政府への信頼が失われていきました。それにネット社会では議員と一般人の情報格差が小さく、昔のようにはいかなくなってきています。ですから、今、いくら言葉でいっても無理がある…。自分の言葉の限界を認識しつつも、それでも言い続けるしかありません。

片岡:  貴重なお話を有難うございました。
~完~

インタビュー後記

推進派、反対派がそれぞれの中だけで議論しあい、両者間の建設的な議論が行われないと、どちらが勝っても、危機管理面が犠牲となりやすいのは経験済みです。原発問題には、まだまだ様々な論点があって専門家の間でも根本的に意見が分かれる部分もありますし、今の日本は、公にはできにくい議論の場、その監督体制もまだ脆弱です。また、どうしてもビジネス(或は利権)の規模、増減に、根拠となるべき研究や国民感情も影響を受けます。単純にいえば、こうした状況下では、推進派にとっては既成事実を積み重ねながら時間を使い仲間を増やしていく方が攻めやすく、反対派にとっては、その目的にもよりますが、機に乗じて感情を利用して一気に市民を味方につけていく方が合理的、妥協はともに個人的にマイナスとなる恐れがあります。つまり、双方のポジションには、両者間の議論を深めるインセンティブがあまりありません。森さんがおっしゃるような、しっかりとした議論、判断ができる環境を、制度や教育も含めて、「決意をもって」整え、恒常的に維持していかなくてはならないのではないでしょうか。

聞き手 片岡秀太郎

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