長時間労働という誤解
我々は長時間労働という問題に真剣に立ち向かわなければならない。
経営者が従業員の長時間労働を望んでいないことは明らかだ。
電通のように東京労働局と三田労働基準監督署の立ち入り調査を受けるに至っては、場合によっては経営陣の一角の首が飛ぶことにもなりかねない。
最悪の場合刑事事件として立件されることもありえる。
経営陣が望んでいないにもかかわらず何故長時間労働がなくならないのか。
多くは現場の部長、課長に責任がある。
(1)部下に長時間働いてもらうことで仕事の量と質が上がり、それが自分の部署のパフォーマンス評価に繋がると誤解している人がいる。
(2)新卒一括採用のシステムの下では、各部門が新人の争奪戦を繰り広げる。
目一杯働いている部署の方が、新人を入れてほしいという主張が通りやすいと誤解している人がいる。
(3)そして何よりも部課長の中には帰宅恐怖症の人がいる。
自分が早く帰ると部下も早く帰ってしまうのではないか。
すると同期との競争に負けてしまうのではないか。
そういった誤解が引き起こす帰宅恐怖症だ。
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興銀で22年間サラリーマンをしたが、私が仕えた上司の半数以上が上記の(1)~(3)に分類される人たちだった。
私より3年先輩のA氏は帰宅恐怖症の上司には付き合ってられないとばかり、7時半ころには退社していた。
その時の上司はA氏が帰った後、夜9時過ぎから班のミーティングを開始していた。
その結果、何が起きたかというとA氏は同期の中で昇進が遅れた。
そういうのを見て知っていた我々は、仕事を終えてやることがなくなっても仕事をする振りをして上司と一緒に深夜12時前後に退社することにしていた。
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それでは日本企業と違って外資系は長時間労働ではないのかというと、必ずしもそんなことはない。
外資も、とくに投資銀行は、日本企業以上に長時間労働だ。
『ウォールストリート投資銀行残酷日記―サルになれなかった僕たち』という本に詳しく書かれているのだが、投資銀行ではアソシエイト、アナリストの人たちが酷使される。
彼らアソシエイトたちから依頼を受ける渉外弁護士などは、彼らの依頼が深夜に来る結果、朝の4時とか5時まで働かされたりする。
これも投資銀行での上司の部門長が過大な資料を要求するからだ。
しかしプレゼンを受ける方の取引先の経営陣はそうした過大な資料を評価するのだろうか。
たしかに厚いプレゼンを評価するサリーマン社長も多いのだが、本当に実力ある会長・社長の場合は細かい資料などどうでもいい。
私自身、外資系投資銀行でもっとも成功したと思うプレゼンはたった1枚紙で行った。
それも1枚の紙の左と右に2つの絵を載せただけのものだった。
これを見せられたB会長はこの絵の前で「うーん」と考え込み、「なるほど。有難うございます」と一言。
この案件では競合他社に勝った。
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長時間労働を変えるのは簡単ではない。
夜8時以降は会社に残れないからと、自宅に仕事を持ち帰る人も多い。
規制を監督する立場の霞ヶ関が夜遅くまで働かされている。
『30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと』では、著者の宇佐美典也氏が月300時間を超える残業を数ヶ月続けたと書いている。
こうした長時間労働の結果、日本企業が世界で勝ち進み、日本にいる人たちが豊かになっているかというと、そんなことはない。
日本のGDPは過去20年間で減少し、世界シェアは90年の13.8%から2013年には6.6%へと劇的に転落した。
半導体、ディスプレイ、携帯電話機器の分野でも海外勢に負け、頼みの自動運転でも日産が車線変更可能なレベル2の自動運転車を出すのは2018年、トヨタに至っては2019~20年と言われている。
テスラやメルセデスEクラスはすでにこれらを達成している。
ちなみに現在市販されているメルセデスEクラスは量産車で初めてネバダ州の自動運転許可のナンバープレートが交付されている。
シリコンバレーに行けば街中を50台ものグーグルの自動運転車が走っている。
赤信号になれば運転手が操作しなくともピタッと止まる。
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話はそれてしまったが「長時間労働=価値の創造」ではない。
我々はどうでもいい些細なことに時間を投入するのを止めて、価値の創造に努めなくてはならない。
デパートで綺麗に包装してくれるのが日本式の顧客サービスだという意見もあるだろうが、私は無駄だと思う。
飛行機に乗れば客室乗務員の人がいろいろと世話してくれるが海外のエアラインではそこまでの過剰サービスはない。
必要なのは安全に目的地に届けてくれることだ。
「些細なことにこだわるのが日本のおもてなし」、「お客様は神様」、「出来るだけいろんな機能を一つの製品に投入しよう」・・・こういったことは一面正しいのかもしれない。
しかしそれに係るコストやその達成のために犠牲になること(たとえばボタン機能が多すぎて使いにくいリモコン)を考え合わせるべきだと思う。
そして何よりも上に立つ人が意識改革を徹底させなければならない。
政治家からの質問提出が遅れれば、霞ヶ関では明け方近くまで残って回答を準備しなくてはならない。
経営者が10を言って、それに15で答えて評価を得ようとする管理職に対しては、経営者は15を出されて感心するのではなくて、そのコストに思いを馳せなければならない。
『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である』 (中島聡著) に次のようなエピソードがある。
Windows 3.1に続く次世代OS開発のためにマクロソフト社内にカイロとシカゴという2つのプロジェクトチームが作られた。
2つのチームは競い合っていた。
カイロは博士課程を修了したようなバリバリのエリートたち。
一方のシカゴはハッカーを寄せ集めた職人集団というイメージ。
筆者の中島氏はカイロに配属されたが、退屈なミーティングが多く上司と喧嘩し、シカゴに移った。
その際、カイロのアイデアをシカゴに持っていったとしてビル・ゲイツが出席する社内裁判にかけられた。
社内裁判は中島さんへの裁判といった側面だけでなく、そもそもカイロの仕事のやり方が良いか、シカゴが良いのかさえも問われる状況になっていったらしい。
カイロは400ページの資料を作成して、それを元にシカゴの仕事がいかに適当でダメかを話した。
中島氏は400ページの資料を読んでさえいなくて、あるデータが入ったCD-ROMの中身を披露しながら、「カイロ・チームの主張にも一理あるけれど、完璧なアーキテクチャ(基本設計)を追い求めていては、永遠にものは出せません」と訴えた。
これに対してビル・ゲイツはたった3分で結論を出した。
「カイロ・チームを解散させる」
詳しくは上記著書を読んでほしいが時間の無い人は中島氏の『こちらのサイト』にだけでも目を通してほしい。
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こうしたことをいろいろと考えていくと長時間労働はトップの資質の問題でもある(このブログの冒頭で経営者は従業員の長時間労働を望んでいないと書いたのだが、長時間労働が起きるのはやはりトップの資質の問題だ)。
もっと言うと、(トップに限らず)上から下まで無駄なこと(カイロ・チームの社内向け400頁の資料作成のように)を平気で行ってしまうカルチャーの問題かもしれない。
我々はものの見方を変えるべきだ。
長時間労働は無駄、もしくは余分な仕事を強いられているということだ。
とくに40歳以上で長時間労働をしている人、部下にそれを課す人は抜本的な意識改革をする必要がある。