右脳インタビュー 久保信保
2015年4月1日
片岡: 今月の右脳インタビューは元消防庁長官の久保信保さんに、東日本大震災の時のご経験などをお伺いしていきたいと思います。宜しくお願い申し上げます。
久保: 東日本大震災は死者・行方不明者が2万人を超える大参事で、消防職団員二百数十人も亡くなりました。自らの危険を顧みず避難を手伝い殉職したものも多かったそうです。そういうできごとが現実に起きてしまいました。そんな中で、全国の消防職団員は本当によくやってくれました。例えば、消防隊員は全国に16万人おりますが、被災地である宮城、岩手、福島以外の44県から3万人以上の隊員が緊急消防援助隊として被災地に応援に行ってくれました。火災や年間500万件もの救命救急などの日々の業務を遂行するために三交代制を二交代制にするなどしながら、5人に1人を被災地に派遣したわけです。こうして地元消防と緊急消防援助隊が一緒になって働いた結果、東日本大震災では5000人を超える人命を救助し、また崩壊に近い事態となっていた被災地の消防力を補完する役割も担いました。
さて、日本の消防は市町村消防と呼ばれ、その実働は市町村が担っています。このため消防庁の正職員は200名弱、予算は200億円程度なのに対して、市町村では、常備消防である消防本部・消防署が16万人、非常備消防と呼ばれる消防団は86万人を擁し、予算規模1兆9000億円、これらは市町村税と地方交付税が財源となっています。つまり、日本の消防の実働は市町村が担っています。このため、阪神淡路大震災の時はまだ全国的な応援のシステムがなく、全国から阪神・淡路に消防隊が駆けつけても、指揮統制運用ができていませんでした。そこで、まず大都市の消防庁の協力で応援システムができ、更に平成15年の消防組織法の改正で、緊急やむを得ない場合、予め各市町村から緊急消防援助隊として登録された応援部隊を消防庁長官の指示で派遣できるように明記されるなど応援の仕組みを整備してきました。その後、今回の大震災の前にも23回の出動があったのですが、実際に指示権が行使されることはなく、今回、私が初めて指示権を行使しました。
片岡: 緊急消防援助隊は大変なご活躍でしたが、その一方、今後に向けた問題点も浮き彫りになったのではないでしょうか。
久保: 例えば、東海地震、東南海地震、首都直下型地震首都直下地震については、どういう部隊を行かせるかといった計画を事前に作っていたのですが、それ以外のところは「広い範囲に跨った」といっても少しかぶるという程度のものしか考えておらず、それであれば対応できるとみていたのだと思います。このため東北地方の指揮支援部隊長は仙台市消防局が担うことになっていたのですが、実際には、その仙台市自身が震災で深刻なダメージを受け、どの応援部隊をどの被災地へ派遣するかは、いわば手探りの中で決断していくことになりました。現実問題として言えば、結局は、どうしてもやってみないと分からないという面があります。またどこの部隊を行かせるかを決めたとしても、実際にその時、そこがどれだけの余力を持っているかは別です。また今回は比較的大丈夫だったのですが、道路が寸断されて陸上部隊が通れなくなってしまうという可能性もあります。そうなると空しかないのですが、全国に76機あるヘリコプターは物を運ぶというものではなく、救助用、偵察用のものです。また自衛隊のヘリコプターも最大で4tまでしか運べません。ですから今の消防の主流で、緊急消防援助隊でも配備した10tの消防車は道が寸断されると近づけないという可能性があります。特に首都直下型地震などの場合はそうです。尤も、東京消防庁などは、自分自身で機材を十分に保有しています。つまり必要なのは人員であって、機材ではありません。しかし、日本は市町村消防ですので、各市町村が車両を自分たちで選んで購入していますので、色々な車があって、例えばブレーキとアクセルの位置が正反対というようなこともありますし、免許も違います。少なくとも我々としては、車は誰でも乗れるようなものにしたいと思うのですが…。
片岡: 実際に訓練などは進んでいるのでしょうか?
久保: 今の緊急消防援助法は、「部隊」を基本としていて車も持っていくというシステムです。つまり、消火部隊はポンプ自動車一台に隊員5名となっていて、救急隊は救急車一台と隊員3名で、そうした「部隊」がそのまま行くことになっています。一方、同一自治体内では、例えば、神戸市内であれば、神戸市の救急隊は3,4日行って、救急車や消防車は置いたまま人だけが入れ替わっていくということが普通に行われています。でも先日の御岳山の例などを見ていると、自衛隊と連携して、隊員を運ぶという連携を実際にやっていますので、大分変ってきています。こうしたことを常識にしていかないといけません。
片岡: 原発事故については如何でしょうか?
久保: 大震災に起因して、福島原発の1号機から3号機までの原子炉と、1号機から4号機の使用済み核燃料プールの冷却機能が同時並行的に失われました。原子炉は冷却機能が失われるとメルトダウンを起こし、また炉内の圧力が高くなって爆発、多量の放射線を放出するなどの可能性もあります。現実に、そういう状況が起きて、3月11日19時3分、菅直人総理大臣が初の原子力緊急避難宣言を行います。原発近辺では市町村消防である双葉広域市町村消防組合が事故当初から自衛隊と一緒になって色々な活動をしてくれていましたが、更に12日に原子力安全・保安院から「原子炉への注水作業に消防も協力して欲しい」という依頼があり、東京消防庁に緊急消防援助隊として注水作業を要請しました。しかし、同日午後、1号機が爆発し、その保安院自身が安全に自信をもてないということでその要請を取り消します。そして14日、3号機が、15日、2号機が爆発、現地対策本部は福島市内に退却、自衛隊も郡山駐屯地に退避するというように大変な事態になっていきます。当時、菅総理自身が、東日本がダメになると公言していたほどでしたし、実際本当にそうなりかねない状況でした。そうした中、原子炉の中に水を入れるなどの作業を東電の人が懸命にやってくれていて、徐々に原子炉への注水は進んでいきますが、使用済み核燃料プールの方は、実際に行ってみないと状況もわかりませんでした。しかし、定期点検中だったためフレッシュな核燃料が入っているので最も危ないといわれた4号機の核燃料プールに「水面の反射らしきもの」が自衛隊のヘリから確認できて「爆発の拍子に何らかの原因で水が入ったようだ」となりました。次は3号機の使用済みの核燃料プールです。17日夕方、自衛隊がヘリコプターから放水、機動隊と自衛隊の消防車で注水を行いますが、これは水槽つきの消防車ですから、すぐに水は尽きてしまいます。一方、消防には、海水をくみ上げて消火活動を行う設備があります。しかし、これは車外に出ての作業も多く、被爆の危険を伴います。
当時、消防庁長官として、原発事故と消防の関係で、特に悩んだのは二つのことでした。一つは、これが本当に消防の仕事だろうかということと、もう一つは仮に消防の仕事だとして、どうしたら行ってもらえるかということでした。法的側面から言うと、平成11年に原子力災害特別措置法ができ、あわせて自衛隊法も改正して原子力災害派遣という新しい項目が付け加えられたのですが、これは原子力災害については、国と事業者が責任を持つというものです。また平成15年に緊急消防援助隊が法制化された際、消防庁長官が指示権を行使できる場合の一つとして、政令で放射線が放出された場合が含まれているのですが、これは救急搬送や救助が前提とされているはずです。というのは、臨界を止めるとことが仕事であれば、自衛隊ですら法改正していますし、まして消防は市町村の部隊ですから、そういう趣旨では、法律改正しようとしても、できなかったはずです。また消防庁長官には何の人事権がなく、各地の消防本部のトップも市町村長(東京都は都知事)が任命します。最高司令官が総理大臣で、国家公務員である自衛隊とは異なりますし、一見消防に近い都道府県警察も実際は警視正(大きな警察署長以上にあたる)以上の人は国家公安委員会が任命する国家公務員となっていて、警察庁長官の「指揮権」と消防庁長官の「指示権」は、実態においてはかなり異なります。実際、爆発が相次いだ時に、福島に援助隊としてきてくれていた隊のうち、4つの援助隊は30km圏内から出ていきました。「市長に相談した結果、安全を確認できないから退避する」ということでした。また、消防ヘリが被曝したということで、私に損害賠償を求めてこようとする自治体もありました。市町村消防である以上、こうした判断はやむを得ないものです。勿論、私は入ってくれるように要請していたのですが…。
何れにしても消防が出動するという手続きのためには、やはり国である自衛隊が先行して欲しいという気持ちはありました。そして現実に自衛隊が先行し、その後、警察も出てくれました。特別措置法の中で一生懸命やったが、その中で完結できないとなった場合、消防組織法一条が復活してくると私は思わざるを得ません。
片岡: そうして、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が出動するわけですね。
久保: 最高の能力を持っていたのが、東京消防庁のハイパーレスキュー隊でした。しかしそれは東京都の都民のために結成され、都民の税金で運営しているもので、その精鋭部隊を、東京を留守にさせて福島に派遣するということです。ましてや被爆のリスクもあります。ですから単に法律の指示権というだけの話だけではなく、まず総理大臣から都知事へキチンと話をしていただくことが必要ではないか、そういったことを片山善博総務大臣として、大臣が総理に伝え、菅総理が石原慎太郎都知事に依頼しました。勿論、事務レベルでは、私は東京消防庁の新井雄治消防総監と密接に連絡を取り合いながら準備を進めていました。また彼らに放水自動車を固定化して海水を引いて連続放水設備を作ってもらうわけですが、それを彼らだけに負担させていいのかという問題もあります。結局、大阪市が手を挙げてくれ、横浜市、川崎市、名古屋市、京都市、神戸市にも打診しました。更に、こうして後からくる別の隊は、東京消防庁が作った設備を使うことになりますし、東京消防庁の部隊は中の状況を最も把握していますので、東京消防庁に後の部隊を指揮して欲しいと思ったのですが、私にはその権限はありません。かといって、東京消防庁が大阪消防庁の部隊に命ずる方が、よほど根拠がありません。そこで、法的には何の根拠もないものですが、東京消防庁宛と、他の消防庁宛に、一筆認め、依頼しました。今考えると、そんなことよくやったなと思うのですが…。
片岡: 12日に、安全に自信が持てないからと、一次的に退避させるのではなく、依頼そのものを取り消すなど、当時、まだ方針が明確に定まっていなかったことを示しているように思います。そうなると決断も遅れるし、後手に回る…。
久保: 残念ながら、そうかもしれません。原発事故は二度とおきないのかもしれませんが、もし実際に起こった時のことを考えるのであれば、誰がああしたことをやるのか? 自衛隊がやるのか、事業者がやるのか、或は原子力規制庁がそういう部隊を持つのか、それとも消防がやるのか、はっきりさせないといけない。そうなれば、今の制度ではダメですよね。また例えば消防がやるというような法律を書いても、その法律を地方自治体がすんなりいいよといってくれない可能性もあります。きちんと議論をしないといけません。二度と起きないと言ってそこで議論が終わってはいけません。実際、再稼働になってきたわけですから…。また国から原発事故に対応して欲しいといわれ、消防が行くとします。そこで、もし公務災害が起きたら、現行法では、国家公務員ではなく、地方公務員として、市町村としての災害補償になってしまいます。だからこそ、新井消防総監は「あの危機的状況で、選択の余地はなかった。ただ、部下を安全に活動させるのが私の最大の責任。命令をかけたのはある意味、任務放棄だった。本当に矛盾だと。その後もずっと感じている」と今でも悩んでいます。結局、彼の責任で行かせたのですから…。そして、寧ろ「国家公務員と兼務の発令をして欲しい」ともいっています。やはり何かあった時には、隊員に対しても、国が責任を持って欲しい。
これまで消防は国家的な役割を担うといわれていませんでした。戦前の消防は警察の一部だったのですが、戦後、市町村消防となって、それが漸く定着してきた段階です。予算、組織…と。その中で、どう動かすか? 言葉としては簡単なのですが、実はものすごく難しいことです。ただ法律を作って変えればいいという話ではありません。まだまだ中間形態といわざるを得ません。
また、近年、消防庁は盛んに広域化ということを言っています。広域化することによって緊急消防援助隊の余力がもっとできるということもあったのではないかと思います。本来、国が別の目的をもって、広域化していくということはあってはいけないし、消防は市町村消防という部分と、今回のように国家消防的な要素がある部分とを峻別して議論しなければならない。それを足して二で割るように消防を広域化すればいいというのでは…。例えば広域化が進むと、市町村長は自分の消防本部ではないというような意識を持ってしまうかもしれません。大多数の地域では、その管理者に地域内で最も大きな市町村長がなるでしょうし、大きな地域の市町村の出身者が消防署のトップにつくでしょう。そうなると実際に災害が起きたときに、どうしてもまず自分の市に部隊を…となってしまうかもしれませんし、そう思われてしまうかもしれません。また消防団の能力を向上しようと思うと、消防本部との連携が必要になりますが、消防本部が広域化すると、本当にうまく連携していけるのでしょうか。その一方で緊急消防援助隊と国との関係を強める、そういった議論をしていかないといけません。
また災害というものは、自分で自分の身を守るということが一番大切です。自衛隊や消防が来てくれるといっても、やはり時間がかかります。津波は一瞬でおそってくる。また大震災の時には津波をかぶって地上の通信手段も断絶しました。救援部隊が来るとしても、人員も資材も有限ですから、優先順位付けることになります。
片岡: 東日本大震災でも、例えば、海に流された人の救助よりも、陸に集中するというような苦渋の決断もあったのではないでしょうか?
久保: 現場の判断でした。やはり命を救うとなったら、ある程度、纏まって救えるところに投入することになります。ですから災害は、まず何より、自分で自分の命を守る、それがすべての基礎です。そのためには日頃から自治会等で行政と接触して情報を得たり、行政に要望を出したり、消防隊員等に来てもらって勉強会をしたり、役割分担を決めたり、訓練をやったり、自主防災組織を作ったり、自分たちで避難経路、避難場所をどうするかといった議論を進め、その上で行政に相談したり…。ほんのちょっとしたことから、訓練をして、習慣ができていないといけません。そして住民がそういう話し合う場を作って、色々な議論をして勉強していく、そうしたことを徹底させていくということが必要です。こうしたことは、避難タワーを作ったり、盛り土をしていくのに比べれば効率的なはずですが…。
片岡: 貴重なお話を有難うございました。 <完>
インタビュー後記
久保さんは、この2月に「我、かく闘えり 東日本大震災と日本の消防」を出版しました。同書には、ここでは詳しくご紹介できなかった当時の生々しい記録、資料の数々があります。危機管理の現場では、常にそれぞれの「正義」がぶつかり合います。福島原発事故では、例えば、選択の余地はないと制度上の矛盾を感じながらも出動要請に応えた新井消防総監。一方、部隊の安全が確信できないと撤退させた市長…。危機時の指揮系統の過度の分散や議論不足は、一刻を争う危機の場面で致命的な判断や行動の遅れ、弱さを招きかねません。今なお、福島原発では大変な状況が続いておりますが、4年たった今、どれほど危機管理上の具体的改善が見られたのか、本質的な議論が進んだのか、疑問といわざるを得ないのではないでしょうか。
聞き手 片岡 秀太郎