Home»連 載»終わりの始まり»終わりの始まり(6):EU難民問題の行方

終わりの始まり(6):EU難民問題の行方

0
Shares
Pinterest Google+

メルケル首相の心境は
舞台は急速に暗転する。EUにどれだけ難民が押し寄せようと、メルケル首相はドイツが引き受けるといわんばかりの寛容さを見せていた。ノーベル平和賞は彼女に与えるべきだったというコメントがメディアに載った。わすか数週間前のことだ。しかし、今、映像で見る彼女の表情は心なしか暗い。

EUの命運を背負ったような形で、メルケル首相は激務の中をアンカラへ飛んだ。しかし、トルコ側から期待した答えは得られなかったようだ。トルコは、この突如として降って湧いたような難民・移民問題を、これまでトルコ国民のEUへの自由な渡航、そしてトルコのEU加盟を実現するための梃子として、逆手に使った。トルコのEUへの交渉力は、思わぬ事で急速に強まった。トルコは11月1日に国政の再選挙が予定されており、この時期の訪問は、与党を利するのではないかといわれた微妙な時の旅だった(東京渋谷,トルコ大使館前での乱闘騒ぎも関連している)。イスタンブールからベルリンへの帰途は、恐らくメルケル首相にとって飛行時間以上に疲労の重なる旅であったのではないか。(筆者もかつてパリからほとんど同じ航路を往復したことがあるが、空路でもかなり長い旅路なのだ。アメリカ大陸ほどではないが、ヨーロッパの横断もかなり時間を要する)。陸路をシリアなどから徒歩でヨーロッパへ向かう人たちの旅路は、さぞ大変なものだろう。

ヨーロッパのバルカン化
EUの基盤が揺らいでいることは、今回の難民問題の発生以前から、さまざまに取りざたされてきた。しかし、その原因となるのが難民・移民の急増によると想定した識者は少なかった。EU域内の人の自由な移動は、EU結成当時からの大きな理想であり、シェンゲン協定に代表される対応はそれなりに進捗していた。このたびの難民・移民の奔流を制御することに加盟国が合意できなければ、EUはその基盤において破綻することを意味する。かつての国境という城壁で囲まれた国民国家時代への逆戻りとなる。

すでに、その兆候は現れている。10月16日、ハンガリーはスロベニア国境を閉鎖する動きに出た。ドイツやスカンディナヴィア諸国への旅路の行く手を閉された難民の流れは、 小国スロベニアを経由することを余儀なくされた。小国を席巻するような難民の大集団が対応する間もなく、押し寄せたのだ。スロベニアの首相ミロ・セラールは「今日解決を見いだせなければ、そして今日できることをしなければ、EUの終わりだ」という切迫した思いをブラッセルでの会議の際、中央・東欧諸国の指導者たちに訴えたという。10月17日の後、62,000人を越える難民がスロベニアに入国してきた。すでに前日も14,000人近くがこの国を通過しつつあった。

 

ヨーロッパにはすでに冬が目前に迫っている。荒廃した祖国を離れ、ほとんどなにも持たずに長い旅路を歩いてきた難民の間には、疲労が重なり、病人などが急増している。シリアからは、最大規模の難民が移動してきた。ロシアの介入で混迷の度を深めたシリアの内戦はすでに5年近くを経過し、国土は荒廃しきっている。アフガニスタン、パキスタンの場合は、同様に内戦に巻き込まれてはいても、難民認定の条件となるまでにはいたっていない。しかし、今後の展開次第で、アフガニスタン、エリトリア、コソボなどから移民・難民が増える可能性はある。
EU委員会は9月25日急遽、オーストリア、ブルガリア、クロアティア、マケドニア、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、ルーマニア、セルビア、そしてスロベニアの首脳をブラッセルに招集し、EUとして共通のアプローチを検討することを求めた。IOM(国際移住機構)によると、今年はすでに68万人を越える移民・難民が中東、アフリカ、アジアからヨーロッパへ押し寄せていた。会議では難民などの一時的な避難収容先として約10万人分の施設をギリシャなどに設置することで合意した。EUの執行機関欧州委員会のユンケル委員長は「すべての参加国が(隣国に負担を押しつけるような)一方的な決定を避けることを約束した」と強調した。しかし、ハンガリー、スロベニア、チェコ、ポーランド、ルーマニアなどは、EUからの難民割り当てに反対あるいは異を唱えている。

「傍観者」?とは
こうした状況で国境閉鎖に踏み切ったハンガリーのヴィクトル・オルバン首相は、勝手な言動で依然からEUの厄介者とされてきたが、国境閉鎖を終えたからには、ハンガリーはこの問題には「傍観者」であり、他国へのアドヴァイスもないとまでいいきったようだ。 確かに人口当たりの庇護申請者の比率でいえば、ハンガリーはドイツ連邦共和国に次ぐ。難民たちは急遽、南バルカン・ルートといわれる経路を選ばざるをえなくなった。当然、その余波を受ける国が出てくる。バルカン半島は小国が多く、入り乱れて複雑な情勢を作っている。国境の壁に行く手を遮られた難民は、少しでも国境が開いている地域へと殺到する。移民・難民問題の研究成果が明らかにした行動様式のひとつだ。

ドイツに隣接するオーストリアなども、国民の反対が強まり、国境管理を強化する方向へ転じた。すでに,スイス、ポーランドなども国民や政党の右傾化による反対で,国境の壁が高まることは必至だ。フランス、イギリスはこれ以上受け入れないことを明言している。とりわけ、イギリスは今後5年間に2万人のシリア難民を受け入れるが,それ以上はいかなる割り当てプランも断ることがはっきりしている。

ドイツ連邦共和国でも、バヴァリア、バーデン・ヴュルテンベルク、ノース・ライン・ウエストファーリアなど、庇護申請者が増えている地域では、住民の反対も高まってきた。さすがの連邦共和国も急遽国境管理を強化することになる。9月25日日曜日から国境管理が復活した。オーストリアとバヴァリアを結ぶ鉄道は、今年およそ45万人の難民・移民を輸送してきたが、ベルリン時間で午後5時で輸送を停止した。EU市民と合法の入国書類を保持する人だけが連邦共和国への入国を認められている。しかし、当然のことながら、これらはあくまで一時的緊急措置であるとされている。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、EUに対して各国の国境管理が統一されず、バラバラにならないよう要請している。ドイツの方針はその点で、ある程度各国に対するガイドラインの役割を果たすだろう。しかし、現実は中欧・東欧諸国の行動のように、すでに各国の事情でEUとしての統一性を失っている。

存在感を増したトルコは
ドイツ連邦共和国だけで、難民の奔流を引き受けることは到底できない。メルケル首相が強調するようにEU加盟国がそれぞれに協力し合って、受け入れる以外にない。それ以上に、EUがその地域共同体としての姿を維持するには、どうしてもシリアに近接する域外国であるトルコに大きな負担を負ってもらうしかない。しかし、トルコ国内にはすでに200万人を越えるシリア難民が庇護申請者として入り込んでいる。レバノンには107万人、ヨルダンには63万人がいる(UNHCRの2015年9月時点推定)。いわば難民の貯水池のような状態で、これらの国々がシリア難民を受け入れている。こうしたダムの堰きが切れたような事態になれば、ヨーロッパは難民で溢れかえる。

なんとかEUの東部戦線の堡塁を強化し、これ以上の難民の流入を防がねばならないというメルケル首相の思いは当然ともいえる。しかし、新たな状況でトルコの地政学的重みは急速に増した。トルコは強気でEUに対するだろう。今後のEUとトルコの政治交渉は目が離せない。トルコに近いバルカン諸国は国力がなく、堡塁の役を果たせない。まもなく成立すると思われるトルコの新政権とEU、とりわけドイツとの政治外交交渉は、ギリシャ問題を横において、EUの命運を定めることになりそうだ。
続く

Previous post

中国の抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70年記念 軍事パレードについて   ―その狙いと示唆、日本のとるべき対応―

Next post

中国の農業政策の矛盾