2 戦略策定過程
軍事戦略の策定過程は、下位の軍事力運用の基本を律する極めて重要な段階であり、戦略策定は、指揮官が自らの責任において実施するのが基本である。他の戦略の策定過程も同様であり、最高意思決定者が自らの責任において実施しなければならない。戦略の策定過程は、一般に、戦略情勢判断、戦略計画策定、戦略策定では、組織の掲げる理念あるいは究極目的を達成するため、まず、世界の事象すべてを対象とし、その中で、操作すべき範囲、情報収集の対象となる範囲、及びそれらの焦点を自ら特定する。次いで、その範囲内での主要な操作すべき要素を明確にし、各要素に配当する資源の種類と量、資源の概略の配分を規定する。併せて、戦術実行の成果を評価する尺度を規定し、戦略を遂行する組織・集団に任務を付与する。
戦術とは、戦略の遂行を命じられた組織・集団が、戦略的に規定された範囲と焦点、配当された資源の中で、最も効果的効率的に、命じられた任務を達成するための、具体的な最善の方策の案出とその実行策である。このように、戦略と戦術は本質的に異なり、単なる組織内の上下、対象範囲の大小の違いではない。
小さな組織にも戦略的発想は必要であり、大きな組織でも戦術的発想に終始することもある。国家や大企業のような巨大な組織が戦略的発想を失えば、例え持てる資源は膨大であっても、資源を真の生存や繁栄、引いては長期的理念の達成に集中活用できず、分散浪費することになり、やがて生存競争に敗退することになる。
逆に小さな組織であっても、一貫した戦略目的を堅持して、乏しい資源でも長期にわたり集中投下すれば、その他の目標は犠牲になるが、戦略目的はついには達成され、その面では他の巨大組織に勝利することができる。
Ⅰ 戦略情勢判断
戦略の一般的な策定過程はまず、与えられた戦略目的を達成するために最良の基本方針を定めることを狙いとする、最高指揮官自らが実施する、戦略情勢判断から始まる。
戦略情勢判断は一般に、①問題の把握と任務分析、②状況及び対象勢力の可能行動、③戦略方針の列挙、④各戦略方針の分析と比較、⑤戦略方針の最終検証、必要に応じフィードバック、⑥戦略構想の決定と結論の各段階からなる。
その終止を通じて責任を負うのは、最高指揮官自らである。そのため、国家レベルでは内閣総理大臣が最高指揮官となるが、その責務は重大でかつ業務は複雑多岐にわたり、多忙を極め、安全保障問題に専従できるわけではない。そのため、内閣総理大臣を安全保障面で補佐する安全保障担当補佐官の常設が望ましい。米国では安全保障担当補佐官は常設とされ、各補佐官の中でも最も重要な地位を占めている。
またこのような戦略情勢判断が適時に的確に行えるには、その前提となる状況の把握が要求に応じいつでも、正しい客観的な情報資料が提供されることが保証される体制が確立されていなければならない。しかし直接情報を収集する能力は国家安全保障戦略の担当部門自ら行う必要は無い。
CIAのような、国家戦略情報の収集分析専門機関の新設が本来最も望ましい。しかし、現在の体制を前提とするならば、関係省庁からの情報提供に依存せざるをえない。その場合問題になるのは、各省庁の利害関係により提供情報が偏るおそれがあることである。この弊害が打破されない限り、省庁縦割りの弊害は克服されず、真に国家的見地に立った戦略情勢判断は期待できない。
情報を所有している関係省庁等がフィルターを通し、都合の良い情報のみを出したり、不都合な情報の提供を拒否することが制度的にできない仕組みにする必要がある。そのための組織と権限、構成員の要件が重要となる。
Ⅱ 戦略計画策定
戦略情勢判断の結果示された最高指揮官の構想に従い、次の段階では戦略計画が策定される。この段階では、構想に基づき、脅威を対処すべき事態に区分し、各事態別の対処方針、その際の隷下部隊の任務、その活動を支える後方、指揮通信機能などの概要について文書化し、具体的かつ実行可能な計画にする。
戦略計画は対象期間に応じて、長期、中期、短期に区分される。
長期戦略は、国家理念、国家目的を具体化した長期国家目標、それを達成するための基本方針、特に資源投入や情報獲得の対象領域とその中で情報収集努力や資源を重点投入すべき分野、実現のための体制整備の目指すべき方向性、ビジョンなどを示す概括的で理念的な戦略である。
この段階での方向付けを誤れば、その下位の中期・短期の戦略は意味を失い、組織全般の存亡が問われる危機に陥るおそれもある。国家の最高指導者、最高指揮官が直接長期戦略策定を指導し、その責任において決定する必要がある。特にその企図を明確に示し、関係者の目標認識を統一することが重要である。この段階で目標認識があいまいな場合、国家目標が分裂し、実行段階で国家資源の分散投下を招き、国家目的の達成を危うくすることになりがちである。
中期戦略は、長期戦略が描いたあるべき姿を具体化し、実現のため必要な資源を見積もり、目標達成上予想される脅威、リスクとその対策、所要資源の確保見通しを明確にし、実行計画に裏づけを与える。理想を現実化する上で要となる、重要な戦略策定段階である。この段階では、将来の資源配分のあり方をめぐり利害関係のある省庁、部局等の間で競合が生ずる。これに対し、戦略方針に従い個々の目標の優先順位を明確にし、長期戦略の示す方向性をぶれさせないことが重要である。
短期戦略は、今何かあった場合に直ちに行動の準拠としうる、即応体制のための実行計画である。現実に行動に移せることが不可欠であり、この計画に基づき実地に訓練を反復して、その実行の可能性を検証することが肝要である。もし実行上困難があれば、資源を追加するか、計画を修正し、常に最新の情勢に応じて実行可能なものに維持しておかねばならない。また秘匿上の必要性に配慮しつつ、末端の実行者に至るまで何を為すべきかが徹底して理解され、それがいつでも実行できなければならない。そのための任務の周知徹底と反復訓練が重要である。
これらの長期、中期、短期の戦略はいずれのレベルにおいても欠落無く整備されていなければならないが、国家レベルでは長期戦略が最も重要である。戦略は一般に高次になるほど長期的視点に立つ必要があり、かつ平時から有時までを一貫する総合的なものでなければならない。そのため個別の省庁の利害を越えた、高次の視点に立ち客観的かつ合理的に策定されなければならない。また計画化作業は、各種分野に関連し、その内容も膨大になる。このため計画化作業は、最高指揮官の指針に基づき、各担当者が分担し並行して組織的に実施するのが効率的である。その活動を全般的に統制し必要な総合調整を行う機能を担う統括担当職(参謀長)も必要となる。
そのためには、平常時から各種計画化作業のための各分野の専門家からなる常設の計画担当機構が必要である。構成員となる各専門家は、それぞれの担任分野について、実務経験と専門的見識を有する者でなければならない。また統括担当者は、各業務に通じ、最高指揮官の意図をよく理解した、一部局の利害に捉われない公正で調整力に富んだ人物があてられねばならない。
Ⅲ 戦略行動
戦略策定の次の段階は戦略行動段階である。この段階では、事態発生に応じ計画は必要な修正を加えつつ逐次命令として発され、戦略行動に移される。行動間には指揮官自らが、予備資源投入の時期、正面などについて重大な決心を行うなど、直接戦略行動を指揮する。特に初動段階では、最高指揮官が迅速に自ら対応するのは限界があり、最小限の関係者による緊急対応チームが対応しなければならないことが多い。
各種の事態に応ずる緊急対処チームがあらかじめ編成され、事態の発生に伴い迅速的確に対応行動をとれる態勢をとっておかねばならない。また、代理指揮権の明示、緊急対応チームの構成員の指定、事態の緊急度に応じた警戒待機態勢の計画化、連絡・呼集態勢などの計画と訓練、予備を含む指揮所、指揮通信システム、継続的活動のための宿泊施設その他の施設の整備も必要である。
特に、情報化の進んだ現代では、緊急時には指揮通信システムに負荷がかかり、指揮指令の中枢は、サイバー攻撃、テロ、襲撃などの対象にもなりやすい。そのために、サイバーセキュリティ、指揮所、指令所の警護、予備指揮所と予備の指揮・通信手段の準備、移動間の指揮通信の確保などに着意しなければならない。
Ⅳ 戦略評価
最後に、行動の結果について評価し、それを次の段階の戦略情勢判断に反映せねばならない。この段階がおろそかでは、多大のコストを払って得られた教訓も継承されず、学習効果は働かない。また同じ失敗を繰り返すことになる。その意味で、「戦略評価」は極めて重要な段階である。また分析、評価が適切でなく、誤った教訓が導き出され普及された場合の弊害は、評価されない以上に大きい。このため、的確に、特に公正かつ客観的に評価がなされることが極めて重要である。
そのために、独立的な最高指揮官直属の評価専門機関により多角的な見地から公正に評価がなされ、その教訓が次の戦略情勢判断に反映され、かつその成果が蓄積されなければならない。評価機関は、関係省庁などと利害関係の無い民間の専門家などから構成し、直接最高指揮官である内閣総理大臣等に教訓と成果を報告できる権限が付与されなければならない。
また教訓の分析を支えるスタッフと成果の分析、蓄積のために、データベース、文書ファイルなどが随時活用されるよう適切に蓄積管理されていなければならない。そのためのコンピューターシステム、資料室の整備も必要である。
この評価の結果によっては、戦略目的そのものを見直すといった抜本的な戦略修正が評価機関から進言される場合もありうるが、その可否は最高指揮官自らがその責任において決断すべきである。
概略以上のような手順と要領で、戦略策定過程は進められるが、最終的に戦略目的が達成されるまで、終了することは無く、この過程のサイクルが、情況の進展とともに、何度も反復されることになる。また国家安全保障戦略レベルから末端の作戦戦略、戦術レベルまでの各段階において、各レベルの指揮官による同様の戦略策定サイクルが同時並行的に進展して行くことになる。