規制強化の流れと格付会社の対応
米国においては、ドッド・フランク・ウォール街改革・消費者保護法(Dodd–Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act:以下「DF法」)と名付けられた金融監督強化のための法律が、1年強に亘る審議を経た後、7月21日オバマ大統領の署名を得て発効した。全文2,300ページにも及ぶ膨大な法改正で、素より原文全てに目を通した訳ではないが、内容的には監督権限等を規定した部分が多く、規制の対象・方法等実質的な部分は、財務省、FRB、SEC等監督機関が規則のかたちで制定していくことになる。その典型はいわゆるボルカールール(Volcker Rule)で、商業銀行に自己勘定取引(proprietary trading)およびヘッジファンド、プライベートエクイティファンドへの投資を制限しているが、最終的に確定した条文においても、proprietary tradingは何ら定義されていない。規制対象となる金融機関ではこうした規則制定を自己に有利なかたちで進めるため、ロビイストを数多く採用していると報道されており、ヘッドハンティングの対象となった監督機関側では仕事が増えたにもかかわらず人材に不足を来たしており、規則制定作業の遅れが懸念される。
DF法では格付会社に関しては、これまでの「2006年格付会社法」を改正するかたちで一段の規制強化が図られている。筆者は2000年から10年間、格付会社に関与したことから本件にはとりわけ関心が高く、DF法の関連個所(約51ページ)を精読してみた。DF法による規制強化の概要は次のとおりである。
(1) 格付透明性の向上(①信用格付方法、②定性情報、③定量情報、④格付パフォーマンス等の透明性向上)
(2) 利益相反の防止(①販売・営業からの格付の分離、②従業員の勤務先変更の監視)
(3) コーポレートガバナンスの充実(①独立取締役の導入、②取締役会の義務の明定)
(4) SECの体制強化(専任部署として信用格付局を創設)
(5) 民事責任の強化(証券詐欺の訴訟要件の緩和)
(6) 証券法上の責任の強化(①格付プロセスに関する内部統制責任の明示、②部下の監督責任の明示、③公募登録資料に格付の掲載を同意した場合の専門家責任の発生)
(7) 格付会社の特別扱いの撤廃(①公認会計士、証券アナリストと同様の責任、②未公開情報開示に関する規則の適用除外の廃止)
(8) 証券化案件の新規格付を行う格付会社の選定
(証券化案件につき、格付会社間で格付引上げによって案件を獲得すること(格付ショッピング)を防止するため、新たに「格付会社理事会」を設立し、新規案件に関しては同理事会が格付会社を選定)~ただし、本規定は5月20日採択の上院案には取込まれていたが、DF法の最終段階で実施が2年間猶予されることとなった。
格付会社が付与する格付は、米国憲法修正第1条により言論の自由の一部をなすものとして保護されており、格付委員会による決定等正規の手続きを経て決定された格付結果に対しては、これまで法的責任を問われたことはなかった。
今回の法改正はこれに大幅な変更を加えるもので、格付の利用範囲の拡大および格付手法の技術革新などに大きなマイナスの影響が生じることが懸念される。既に米国ではムーディーズ、S&R、フィッチの3社が上記(6)③を受けて、証券化商品に関して格付結果を公募書類に記載することに不同意を表明したため、ABS(Asset backed securities:資産担保型証券)市場が事実上、閉鎖状態になっているとのことである。
DF法はSEC、財務省主導ではなく、上下両院での言わば“大衆討議”によって制定されたため、実施に移す過程においてこうした不都合・不具合が次々に出て来ることが予想される。サブプライムローン証券化商品の格付が、2007年7月、大量かつ大幅(AAAから一部はCCCへ)に格下げされ、金融危機を惹起したことは事実であるが、一律に格付会社の法的責任を強化すると、一般の企業格付および仕組が比較的簡単なABS格付等で、市場の混乱、証券取引の縮小等の弊害が生じる惧れが大である。サブプライムローン証券化商品の格付の失敗は、単純化していえば、投資銀行のレバレッジ規制に関する米国SECの怠慢およびストックオプションに目が眩んだ格付会社幹部の強欲によって引き起こされたもので、再発防止策はSECの監督能力の向上および格付会社の報酬インセンティブ構造の是正であって、格付結果に対する法的責任の一律強化ではない。
米国格付会社の法的責任回避姿勢の強まりの余波は、我国証券市場に及ぶ可能性もある。報道によれば、米国系格付会社が、米国本社、欧州現法等の海外法人の日本登録を忌避しているとのことである。忌避の背景は定かではないし、詳細を説明する紙面の余裕はないが、これら海外法人が付与した格付のうち規制対象となる日本関連格付の特定・明確化に伴い生じる可能性のある法的責任に敏感になっている所為かも知れない。これら海外法人が日本で登録されないと、サムライ債の発行、外債の国内流通に深刻な悪影響が出る。ハードな規制を導入することは簡単ではあるが、そうするとソフトな格付が崩壊する惧れがあることを肝に銘ずべきであろう。
以上の議論とは直接関係ないが、前回取上げた米国SEC対ゴールドマンサックス(以下「GS」と言う)の民事訴訟に関して、簡単に触れておく。本訴訟は、7月15日、GSが550百万ドルの民事上の損害賠償金を支払うとのことで和解が成立し結着をみた。和解の一部を構成する訴訟事実に対する認識は、故意の度合がより高い1933年証券法10条違反の詐欺ではなく、同法17条違反の過失による不正行為ということで合意した。より具体的には、GSが顧客に示した投資説明資料に全ての事実を記載しなかったことは錯誤(mistake)であり、GSはこのことを遺憾に思う(regret)との表現が和解文書で使われている。これにより、GSは本件に関しては刑事責任を問われることはなくなり、訴訟提起が噂されていた他の同種事案についても不問に付されることになると見られている。また、社長等GS幹部に対する処罰も含まれていない。550百万ドルという賠償金額はSECが関与した民事事件では史上最高であることは間違いないが、20年前に当時のドレクセル(投資銀行)が、民事・刑事合わせての賠償金としてSECに650百万ドル支払った前例がある。この和解に関しては、訴訟提起自体に反対していたSEC委員2名が「より軽い責任に対しこうした多額の賠償金を請求することは正当化できない」として、反対票を投じたとされている。これに加えて、本件和解がDF法案が上院で可決成立した日と同日に公表されたことから、同法案成立を支援しSECが投資銀行に対し厳しい姿勢を示していることを議会にアピールするためにこの対GS訴訟が利用されたと見られても止むを得ない。このことは、公正・中立な証券法の執行役としてのSECの権威と信頼の確立にとってマイナスであることは言うまでもない。