「法の支配」の幻想について7
- 裁判官の良心 -
もう一人の巨星
さて前回までは、筆者の学生時代に斯界の第一人者として仰ぎ見ていた田中耕太郎先生と古畑種基先生の裁判との関わりを見てきたが、当時直接接したことのあるもう一人の偉大な先生に、同じく東京大学教授で、その後田中先生と同様に最高裁判事、勲一等旭日大綬章、文化勲章受章者となられた団藤重光先生がおられた。
団藤先生は、特に刑法・刑事訴訟法の大家として、また死刑廃止論の急先鋒としても名高かったが、先に紹介した森炎氏の著書によると、彼が死刑廃止論を唱えるようになられたのは最高裁裁判官として、合議に関与した死刑判決について長年に亘って密かに誤判ではないかとの危惧を抱いておられたことによるとされている。森氏は、団藤先生は最高裁を去られた後に、「本当は、この判決は冤罪ではないのか」という一抹の不安を感じ続け、このことを新聞紙上や講演で敢えて公にしていたと述べている。
この判決とは波崎事件という事件に関するもので、茨城県波崎町という漁師町で深夜に帰宅した農家の主人が、突然泡を吹いて倒れ、病院に運ばこまれて間もなく死亡したという事件である。死体が司法解剖に付された結果、死因が青酸化合物による中毒死と判明、毒殺容疑が浮上した事件である。
被害者が倒れたのは、自宅から車で数分のところに住む顔見知りの男H宅から車で帰宅した直後のことで、帰り際にHは被害者にアスピリンだと言って薬を飲ませていたこと、Hが被害者に生命保険をかけていたことが判明、検察はこれらの状況証拠から、Hが保険金目当てで被害者を帰宅途上で中毒死させたものとし、殺人容疑でHを起訴、死刑を求刑した。
この事件の第一審水戸地裁土浦支部の判決は、「被告人の自白はなく、毒物を飲ませるところを見聞した証人もなく、毒物の入手先も処分方法も不明であるが、……犯人は被告以外のものであるとは、どうしても考えることができない。即ち、被告人は犯人に相違ないとの判断に達したのである。よって、犯罪事実は証明十分である」とし、証拠が殆ど存在しない点については「絶対に証拠を残さない、いわゆる完全犯罪を試みんとした」もので、犯人の「性格は冷酷にして残忍、自己のためには手段を選ばず、他人の意を介しない反社会性を有している」などとし、保険金殺人で情状の重い場合の当時の量刑基準に従って「死刑を選択するより他はない」とし、その後の上級審も高裁、最高裁に至るまでこの死刑判決が維持されたのであり、団藤先生は最高裁判事としてこの判決に与したため、長く誤判の危惧を抱き、冤罪判決に関与したという自責の念を抱き続けていたということである。
この最高裁判決の結果として死刑の確定したNは、再審の申し立てを繰り返し、恩赦の請願を準備中2003年に獄死するまで、逮捕の時から数えて41年間に亘り冤罪を訴え続け、87歳でその生涯を獄中で閉じることになった。森氏は前記著書で、この事件の経過を述べ、「東大法学部開闢以来の秀才」と言われ、31歳にして現行刑事訴訟法を起草し、「東大法学部の栄光を一身に体現する、我が国刑法学の最高権威だったが、波崎事件でいわば『腰砕け』となり、(一部マスコミから『腰抜け判事』と批判された)、団藤刑事法学は一挙に指導力を失った」とまで決め付けている。
誤判は不可避なのか?
森氏は、このような決め付けに続いて、団藤先生は冤罪加担に対する自責の念から、冤罪は避けられないものとの認識に基づき、冤罪を防ぐためには死刑廃止しかないと考えるようになり、死刑廃止をめぐり法務当局に対する「激烈な批判を繰り返し」、「それとともに、団藤刑法学は裁判実務に対する影響力を急速に失っていった」と指摘している。
筆者は、団藤先生が2012年に亡くなられる前の数年にわたり、毎年1、2回は両陛下や内閣主催の園遊会に車椅子で出席されている姿を拝見していたが、先生の周りには人だかりが心なしか稀だったと記憶している。
学生時代の輝ける先達に対する筆者の感傷はさておいて、森氏は「波崎事件にまつわる団藤の行動は日本の法学界に大きな波紋を投じたが、その真の意義は死刑廃止論への傾斜にあるのではなく」、むしろ「刑事裁判官としても、法的思考力の強靭さや法的素養の豊かさの点で団藤以上の者はいない。その頂点に立つ人が、『どうしても事実が見極められない』と不安を語ったのである」とし、これは「とりもなおさず、法廷で真実を見通したかのように、確信あり気に語る者の欺瞞を陰画として示している」と述べている。
こうして森氏は、「刑事事件で、本当の意味で事実を見極められる者などいない」と結論している。前回まで見てきたように、この著書で氏は「司法囚人」と名付けた「裁判は所パノプティコンの住人」たる職業裁判官には公平・妥当な裁判は不可能であるという基本的立場に立ち、裁判官は国民の権利・自由などには関心がなく、先例によって打ち立てられた判断基準に依拠して事件処理を行い、裁判機構の中で「権威」として崇められている学識者などへの盲信の結果、事実認定と法の適用において致命的誤りを犯し、無辜の市民に対し有罪判決を下し、司法の名による人権侵害を行っていると主張している。
「先例によって打ち立てられた判断基準」として、森氏は例えば以下のような判例法理を挙げる。
1.殺人の場合の「殺意」の認定 「死の結果を招来することに対する認識・認容」と定義、「殺傷能力ある凶器で身体の枢要部に対し攻撃が加えられた場合」との原則
2.窃盗の場合 「被害発生と近接した日時・場所で盗品を所持していた者」は窃盗犯人と看做され、「拾った」、「買い受けた」「借りた」などの弁解・弁明があっても「不合理な弁解」として排斥され易い
3.刑の軽重の判断 事実を認めた場合は「反省の情あり」、争った場合は「反省の情なし」、「反省の有無で刑の軽重を左右」(犯行を認めさせる方向に作用する警察、検察と共通の拘留率99%とされる身柄拘束の安易さを特徴とする「人質司法」のコロラリー
「法の素人」の読者の皆さんは、このような判断基準による取り扱いに納得されるだろうか? 森氏は「かかる取り扱いは、それ自体相当にいかがわしいものであるが、その論理が成り立つためには、100パーセント有罪で間違いないと裁判官が確信していなければならない」とし、これは裁判官が事実認定に絶対の自信をもっていることが大前提」だが、「個々の裁判官にしてみれば、内心自信のない場合もある。その場合どうなるかというと、それでも同じ取扱いをする。事実認定に内心自信がない場合でさえも、なお冤罪を訴えたものを不利益に扱い、その刑を重くする」といわれる。
団藤先生のように良心的(だがひ弱な?)な学者上がりの裁判官は、冤罪判決への加担を一生気にし、公然とこれを口にしたりすると「腰抜け判事」ということになってしまう。
我が国司法のこの実態は、このシリーズの(4)で紹介した瀬木氏の著書の書名の通りまさに「絶望の裁判所」である。
ではどうしたらいいのかが次の課題である。これに対する森氏の回答は、制度改革であり、1999年以降行われてきた我が国司法制度の抜本的改革といわれる司法制度改革の一環として、2009年の導入された裁判員制度である。氏は、裁判官は司法権力の「囚われ人」であるから、司法囚人でない市民が「司法囚人」の「歪んだ権力行使」に反対・抵抗し、権力と闘うことによって司法のあり方を変えていくべきだとされる。
だがこの考え方には、たまたま裁判員に選ばれた市民が、このような意欲を持って行動するだろうか、たとえそのような意欲があったとしても、専門職の職業裁判官と対等以上に闘える主体的、制度的保障があるかどうか、など数々の疑問が湧いてくる。
司法の究極にあるもの
次回以降では、このような制度的要因を検討して行くこととするが、同時にそもそも裁判官も市民も神様ではない、同じ人間である以上、客観的に公正・妥当な判断が出来るのかという基本的問題も湧いてくる。これらの問題についても検討していく積りである。