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若狭 勝 弁護士 元検事、前衆議院議員

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片岡:    今月のインタビューは若狭勝さんです。まずは先日の総選挙についてお伺いしながらインタビューをはじめさせて戴きたいと思います。

若狭:    私は、国会議員は約3年間やっていただけですが、もう10数年はやったような気がします。特にこの1年は濃密で刺激的、本当に凄かった…。新党立ち上げに主体的にかかわり、権力闘争も含めて政治の裏側を体験しました。10年、20年経っても忘れないでしょう。「結果よければすべてよし」といいますが、今回は、すべてが逆、皆さんがご承知のような結末を迎えました。「負けるに不思議の負けはなし」といいますが、負けには理由があります。今回は複合的な要因がありますが、共通して言えるのは時間がなかったことです。そのために、色々なところに無理がでました。
例えば民進党の前原誠司代表が党を事実上解散し、全員で希望の党に合流するといったときも、時間があれば、もう少しうまくソフトランディングできたはずです。元々、私と小池百合子東京都知事は、政党は、基本的な政策の考え方が一致している人でつくるべきだと考えていましたので、個別に私が一人一人、玉木雄一郎衆院議員など十人ぐらいの議員と話し合いを進めていました。そもそも全員合流は無理な話でした。勿論、「安倍政権に打ち勝つためには手段をえらばない」という話もありますが、憲法や安全保障政策問題等、基本政策が一致していないと、国民に対して不誠実だと思います。ですから、前原さんが「全員合流」を強調すればするほど、小池さんもそれを強く否定する、それが「サラサラない」「排除します」というような発言に繋がっていきました。また、政策協定書も民進党の玄葉光一郎衆議院議員と私の合作ですので、踏み絵のように一方的に民進党の皆さんに押し付けたものではなかったのですが、玄葉さんたちは、これも時間がなかったために、「明朝までに署名してファックスで戻してください」というようなやり方をしてしまい、強硬な印象を与えてしまいました。
また小池さんも、優れたリーダですが、今回は急ぎ過ぎたように思います。希望の党の党本部は、私の池袋の事務所に間借りし、事務局も皆でメンバーを一人ずつ出してやっとやっている感じで、殆ど党としての体をなしていませんでした。仮に選挙に勝って政権交代になったとして、翌日から組閣ができるかというと、とても無理です。しかし小池さんは、「政権交代選挙」を掲げることで、選挙に関心を持ってもらう。選挙に関心を持ってくれると投票率も上がり、希望の党に無党派層の人が票を入れてくれるということに重点を置いていました。一方、「衆議院選挙に小池さんが出馬する」という期待が高まったまま公示直前まで行って、最終的に「出ない」となると、大きく膨らんだ期待が一気に萎み、その失望感の中で選挙に突入することになります。これは極めてリスキーです。それに自民党が仕掛けてきていましたから…。どうしても期待感を下げる必要が出てきました。そこで10月1日、NHKで「次の次の選挙で政権を」という発言をしました。小池さんに事前に相談すると「言わないで」といわれると思いましたので、相談はしていません。

片岡:    自民党はしきりに「小池さんは選挙に出るべきだ」という声を強めてきましたし、希望の党はかなり戦線を拡大させていましたからね…。

若狭:    小池さんは出られないと読んで、国民の「小池さんが出馬するかもしれない」という期待を過剰に煽り、出ないときの失望感を大きくする。更にその間、誰が首班かを問うこともできる…。だから、あそこでトーンダウンさせないといけないというのが自分なりの結論でした。小池さんからは、「次の次の」発言の後、電話があり、「ああいうことは言わないでね」と。結局、小池さんが最後まで「出るのではないか」という期待が続き、そして結果出なかった。風は止み、「排除発言」と合わせて、今度は強いアゲインストの風が吹きました。あの発言は風が変わる大きなきっかけとなりました。

片岡:    自民は敵失を待っていたはずですからね…。尤も、先程仰いましたようにベースができていないので、排除発言の有無にかかわらず、難しい状況だったわけですね。ところで、前原さんの「全員合流」ということは想定していたのですか? これが今回の選挙の流れを大きく変えた要因の一つですね。

若狭:    まったく想定していませんでした。前原さんはボタンの掛け違いを二つやってしまいました。一つは、その「全員合流」です。前原さんは民進党の両院議員総会で「全員合流」旨いってしまったので、それを前提として色々な話をしていました。勿論、小池さんにはそういう意識は全くなかったと思います。

片岡:    全員合流ということは、ある意味、乗っ取りに近い。内部に最大派閥を作る可能性があるのですから。もともと簡単には受け入れ難い。総理の椅子が確実に手に入るならば別かもしれませんが…。

若狭:    前原さんは信じられないものを信じた…。もう一つのボタンの掛け違いは、小池さんの「出馬」についてです。「小池さんは衆議院に出る」と前原さんがスタンドプレー、希望的観測で言ってしまった…。前原さんと小池さんが二人で会った後だったので、前原さんがそう言っているのだから、小池さんからそういった発言があったはずだと広まってしまいました。しかし、小池さんがそんなことを言うはずがありません。その次に前原さんと会うときは私も同席しましたが、その時、前原さんが「小池さん、衆議院出てくださいよ」というと、小池さんは「前から言っているように私は出るつもりはありませんよ」と。このやり取りではっきりすると思います。元々、小池さんが衆議院選に出馬するためには都知事の後継者候補が必要です。しかしそれがいない。後継者は小池さんと同じ考えを持っていないと、都民ファーストの会が都議会議員選挙で勝ったことが無になってしまう。自民党もその時の都知事選には、かなりメジャーな人を出してくるはずです。負ければすべて終わってしまう。ですから後任者を選ぶといっても、それは並大抵のことではなく、そこが一番のネックでした。つまり出ることができなかった。私はそう思っています。一方、前原さんにしてみれば、民進党を解体してやり直すための賛同を得るには、あれだけ強いスタンスをとる必要があったと思います。
こうしたことは、本来二人で詰めておかなければいけないことですが、実際は詰まっておらず、認識の違いがありました。

片岡:    徹底的にまず「風」を作ろうとした小池さんと、民進党をまとめる必要があった前原さんは、明確に出馬を否定しないという点では同じ船に乗っていたわけですね。さて、選挙のタイミングはどのように見ていましたか?

若狭:    7月2日に都議選が終わりますが、その前々日、小池さんと二人で国政政党の立ち上げについて話をしました。そして選挙が終わると同時に準備をはじめ、その時には10月末ごろにも解散総選挙がありうることも想定はしていました。ただ、確率がそれほど高いとは思っていませんでした。7月13日に「日本ファーストの会」という政治団体を設立、そのもとで「輝照塾」という政治塾を設立、選挙の準備に入ったわけです。その塾生から立候補者を擁立しようと思っていたのですが、10月22日ではとても時間が足りません。避けて欲しいというのが本音でした。

片岡:    そうした中でも、かなり大量の候補者を立ててきましたね。

若狭:    9月25日、小池さんが自ら「希望の党」を立ち上げ代表についた辺りから、「政権交代」を具現化してきました。「政権交代の選挙」には過半数の233議席は越える候補者の擁立が必要で、235名を立てました。一方、私は元々、次の次ぐらいでの政権交代を目指して、まず保守と改革保守のような2大政党制の受け皿となるような政党の素地を作り、国民に理解してもらうことをイメージしていました。そういうことを地道にやることがいいと思っていました。ここが小池さんと私が、この2年間で一番大きく食い違ったところです。

片岡:    風を使ってカケに出る小池さんと確実に進めようとする若狭さんとの間の、政権への道筋の違いは大きな影響があったようですね。

若狭:    客観的に無理な話でしたからね…。それに先ほど少し述べましたが、自民党が、合わせ技を仕掛けて来ていました。小池さんの出馬への期待感を煽る一方、出ないのであれば、首班指名をどうするのかと。結局、政権選択選挙と位置付けるから、そうなるわけです。いずれにしても、時間がないない中で、唐突に政権交代を持ち出して盛り上がるのは、若干筋が違うと思います。

片岡:    それにしても時間を武器にできる解散権は相当に強く、自民党は徹底的にそれを活用する。戦い上手ですね。

若狭:    山尾志桜里衆議院議員の問題が大きかったですね。あれで民進党は相当に厳しい状況に追い込まれ、その結果、自民党に解散のチャンスを与えました。

片岡:    自民党はいつも、ここぞとばかりに解散する準備ができていますね。

若狭:    常在戦場ですから。そこに組織票ですからやはり強い。基礎票があるというのは絶対的な強みです。これには投票率を上げるしかないのですが、今回の選挙では本当に雨が多くて、しかも投票日は台風でしたから…。また立憲民主党が突然できて、注目や期待感があちらに流れてしまいました。

片岡:    結局、野党がまとまらない、まとまらせないというのが、自民党の基本的な戦略の一つでしょうね。小選挙区制の下では、バラバラで選挙するとどうしても不利ですから…。

若狭:    そうなんです。小選挙区制はやはり変えないといけないのではないかと思います。国民、一人一人が入れた票数と議席数がかけ離れていますから…。

片岡:    次に若狭さん個人の選挙戦についてお聞かせ下さい。

若狭:    私の場合は、10月10日が公示日だったのですが、9日の午後3時に初めて、自分の選挙モードになれました。それまで地元には一回も入っていません。希望の党のことを一手にやっていましたから…。また今回は選挙区の区割りが変わって、私の基盤であった、豊島区の駒込、大塚、巣鴨等が、選挙区から外れてしまって、それまでの私の地元豊島区の三分の一の票がなくなってしまいました。一方、新たに加わった中野区と新宿区では、公示日の前日まで一度も入っていないわけですから…。それでも風があれば乗り切れるはずでした。また自民党は戦略的に、総力を挙げて、私を叩いてきました。「若狭を叩けば、希望の党の力が落ちる。希望の党が落ちれば、小池の力も落ちる」。選挙ですから当然です。最終日には、人気が高い全国で引っ張りだこだった小泉進次郎衆議院議員も私の選挙区に何度も何度も入ったようです。いずれにしても、自分の力がなかったわけですから、仕方がありません。
今後は、自分の国政選挙のための政治活動は一旦退くことにしました。政治塾については、塾を続けるか、一人一人照会しましたが、197人の塾生うち、110人くらいの人が続けたいといってくれましたので再開しています。また政治的な意見の発信は続けていきます。

片岡:    小池さんや希望の党との距離感については如何でしょうか?

若狭:    希望の党は、当初の想定と大きく違っているので、もう少し、推移を見てみないとよくわからないというのが正直な気持ちです。私も生みの親の一人ですので関心と責任がありますが、今の枠組みは、当初想定していたのと違うし、私も小池さんもいなくなって、まだ細野豪志衆議院議員もいわゆる執行部役員につかず、最初にやっていた人が皆いなくなってしまいました。

片岡:    弁護士としての活動も再開されるものと思いますが、実際に政治の内部に入り、色々と見えてきたものもあったのではないでしょうか。以前は東京地検特捜部副部長として政治を見張る立ち場でしたが…。

若狭:    実際に中に入って、国会議員の実像に、見て聞いて触れたりすると、色々見えてきました。例えば、勿論、国会議員には裏金があります。さすがに、1憶、2億円というのは減ってきたと思いますが、数百万円といったものは沢山あります。そして贈収賄も、現金でやり取りするようなものではなく、例えば、第三者収賄のようなものがあると思います。国会議員の親族などに、建築会社が本当は1億ぐらいかかる家を3000万円くらいで作る。国会議員が誰かから委託を受けて便宜をはかる代わりに、自ら利益を得ると簡単につかまりますので、だれか親しい人に儲けさせたり、インサイダー情報などを渡して儲けさせたりします。
特捜部はもっと頑張らないといけませんね。こういうものは本当にアンテナを貼っていないと挙げられません。それに内部通報者がいないと難しいですね。

片岡:    日本は内部告発制度を受け入れる素地ができていませんね。前川喜平前文科次官のときもそうでしたが、国会でも、証言内容よりも告発者の高潔性に焦点が集まり、そこが激しく攻撃されました。犯罪に加担した共犯者の証言では証言者の高潔性は問わないのに、内部告発者は高潔性が問われる…。こうしたことを見ると、そもそも告発しようという人がいなくなってしまいそうですね。

若狭:    本当にそうです。さて、その加計学園の問題は典型的な便宜供与の疑いがあります。獣医学部の開校は、本来は2019年の4月でした。それが2018年の4月となった。そのことによって、加計グループは資金繰りもよくなりますし、何より、もっと悪いのは、競争相手であった京都産業大学が間に合わないとあきらめざるをえなかったことです。つまり、蹴落とすための策略だといえます。この日程の変更を誰がやったのか。これは正式の会議では決まっていません。状況から考えるとアンダーで、安倍晋三内閣総理大臣と加計孝太郎理事長が決めたとしか思えません。そして、それに萩生田光一内閣官房副長官もかかわっていると思います。
しかし、野党側は、国会審議を同じ土俵にのって、「あそこに獣医学部を作るがいいのか悪いのか」などといって戦っています。こんなことをやってもダメです。一年前倒しということのどこかに安倍さんと加計さんの癒着があるということをまず明らかにする、その上で、遡って、そもそも今治に獣医学部を作ることがいいのかという話にフィードバックさせることが必要です。そうしないと水掛け論になります。裁判と同じです。
安倍さんは「自分は一切関与したことはない」「国家戦略特区を今治に決めた過程において誰も関与したといっている人はいない」という主旨の発言をしています。しかしこれは「獣医学部を今治市に認める」過程に限定されています。そこではなく、関与したのは、先程言ったように「開校日の一年前倒し」の部分で、それが京都産業大学を蹴落とすためのもであった可能性です。そこを突いていけば、状況証拠的には誰が決めたのかということなります。そうすると、少なくとも「怪しいのではないか」となって、見方も変わってくるでしょう。今のままでは大学設置審も認めたので、「結局悪いことはなかったでしょう」となってしまいます。

片岡:    朝日新聞社の全国世論調査(電話)によると、『学校法人「加計学園」の獣医学部新設を巡る問題で、同学園が優遇されたのではないかとの疑惑は「晴れていない」が83%に達した』(2017年8月7日)とあります。勿論、調査方法や機関による違いはありますが、国民感情としては既に多くの人が怪しいと思っています。それでも進んでいるわけですから、この場合、怪しいか否かではなく、立件、或いはそれに近づくステージに行くか否かが問題ではないでしょうか。

若狭:    有罪にするためには、贈収賄などで立証しないといけません。直接的で見え見えのものは避けているでしょうから、立件できるとすれば、例えば、加計グループは色々な事業をやっていますので、その関係で、安倍さんの近しい人が利益を得ていないか、直接は見えない形で何かやっていないかということを解明していくことが必要です。これからはこのような第三者収賄罪での立件がよく用いられることになると思います。

片岡:    貴重なお話を有難うございました。 <完>

 

聞き手    片岡秀太郎 プラットフォーム株式会社 代表取締役

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