右脳インタビュー 柳澤協二
片岡: 今月の右脳インタビューは柳澤協二さんです。柳澤さんは防衛官僚として政権中枢を支えてこられました。さて、今や「世界で最も危険な地域内対立の一つ(英フィナンシャル・タイムズ紙2014年1月25/26日付)」ともいわれる日本と中国、まずは暴発リスクについてお伺いしたいと思います。
柳澤: そこが問題です。それを認識するがゆえに、政治はナショナリズムを鎮めなければいけない。クラウゼヴィッツは戦争の三位一体の中で最も必要なのは大衆の熱狂であると言っています。当時は国民総動員の戦争の時代だったのですが、今も世論が強い影響力を持つ時代であり、同じことが言えます。つまり戦争するためには熱狂を煽ればいい、避けるためには熱狂させなければいい。だけど北京も安倍政権も自分の政治のために国民を煽動しています。
片岡: 煽るのは簡単ですが、鎮めるのは…。
柳澤: ナショナリズムは受けが良く、言う方も気持ちいい。しかし鎮めるのは政治家にとって一番難しい。でも本当に戦争をするかというと客観的にみればできないはずです。今は日本の部品がなければ中国は生産が成り立たず、中国の労働力がなければ日本企業も成り立たない。貿易や資本も生産もボーダレスになっていて、歴史上どの時代よりも戦争のコストが高くなっている。勿論、尖閣を一回獲ったり、獲られたりするような限定的な戦闘はありうるかもしれないけれど、長引くことはどちらも望んでいません。これは米国もそうです。ですからどこかで拡大しないようにコントロールすることになるでしょう。
片岡: コントロールできるものなのでしょうか?
柳澤: そこがよくわかりません。実際に火が噴いたとき、煽られてどんどん燃え広がるのか、「これは大変だ」と正気に戻って、お互いに消しにかかるのか…。だからこそ暴発させていけない。実際、もし戦端が開かれれば日本には今までの兵力の蓄積があるので最初の戦闘には勝てるでしょうが、10年20年と続くような戦争となれば最後は総合国力だから中国には勝てないと思います。孫子に「百戦百勝は善の善なる者ではなく、戦わずして人の兵を屈するが善の善なる者」とあるように、個々の戦争に勝つか負けるかではなくて、この先、国と国がソフトパワーも含めて、お互いに張り合って最終的にどっちが立派な国になるか、そういう競争が大切です。
そもそもナショナリズムというのはどちらが正しいかではなく、どちらもそれぞれにとって正義であり、妥協点がありません。妥協には相手には相手の考え方があることを認めるしかない。例えば安倍首相の靖国参拝でも「相手が誤解をしている」という言い方は、裏返せば「自分は正しい」「相手は間違っている」といっています。そこからは相互理解は生まれません。
さて、安全保障には抑止だけではなく利益誘導もあります。抑止は「戦争をすると代償が大きい」、利益誘導は「戦争しないことの利益がこんなに大きい」というものです。抑止の最大の問題は相手よりも強くなければいけないことで、当然相手もこちらより強くなろうとする。その悪循環があり、互いにくたびれてしまう。また妥協という手段もあります。相手に得したように思わせながら、実はこちらも得をしている…。北方領土問題で、プーチン大統領が言っている引き分けのようなものです。ロシアから見れば、日本に譲歩したような体裁を取りながら、けっして損する、ただで起きるわけではない。そういう手段を結構使っています。
今の政府のやり方を見ると抑止の部分しか出てきておらず、政策としてのバランスがとれていないし、国民を煽動しているわけですから危機管理としても非常にまずい。抑止と利益誘導、そして妥協をうまく組み合わせていかなければならないのですが、政治家にとって一番難しいのは妥協です。弱腰と批判されますし、妥協こそ、一番知恵がなければいけない。しかし日本は今までそれに成功したことが殆どなく、あるとすれば日露戦争です。この時、日本は実は倒れる寸前だったのですが、小村壽太郎全権大使が和平を持って帰国すると、世間の轟々たる批判を受けました。日本人自身が賢くならないと…。
片岡: 情報開示も含めて適切な教育が行われていないと。
柳澤: 歴史教育も大学での人文系の教育も、政治、政府がやっていることが「本当に正しいのか」「間違っているのか」、一人の国民として判断するための基準を教えるものでなければいけません。しかもそれは出来るだけ世界に通用するような客観的な基準であるべきです。それが教育の最大の目的の一つだと思います。だからこそ政治はこうした教育へ介入してはいけない。政治、政府に対して健全な批判ができるような国民を育てること、それは特定の党派にとってではなく、国にとって必要なことです。
片岡: 国民にとっての権利でもありますね。
柳澤: まさに主権者の権利であり、義務です。今、安倍政権は安保だけではなく、教育にも介入しようとしています。主権者として政府を健全に批判できる国民を育てる、そこを侵食してはいけない。福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で、学問は個人が独立、自立するために必要なもので、個人が自立していなければ国家の独立もないと言っています。「一身独立して一国独立する」、まさに、そうやって国民がこの国は自分たちの判断で作った、自分たちのものだという認識がなければ、事あるときに国を守るということはありえません。これは近代教育の原点、民主主義の原点をいっていて、それと国防という概念がどう繋がるかということを解き明かしている意味でも凄く大切だと思います。
集団的自衛権は米国と対等になるため、米国から完全に独立するために必要だといいます。だけど戦略的には米国と対等に議論ができていない。米国との対等性を考えるときに、個人のレベルでいえば、当然、力の強い人も、弱い人もいるがこれを大きく変えることはできない。だからフィジカルな対等を言っても仕方なく、人格、ものの考え方において、対等でなければいけない。
片岡: ご著書「検証 官邸のイラク戦争」に「日本の場合、首脳同士の関係に加え、官僚、閣僚に至るまで、ブッシュ政権におけるそれぞれのカウンター・パートと緊密な意思疎通があった。それを通じて日本政府の各層が、アメリカの意思について共通の認識を持っていた。その結果、日本政府内部での議論は、アメリカの出方が明確であればあるほど不要となるか、あるいは大幅に効率化される。アメリカの出方について認識が共有されても、その是非をめぐる議論があってもよい。あるいは、『アメリカはそうであっても日本はこうあるべきだ』という意見があってもよい。だが現実に、それはなかった。あったのは『アメリカがそうであるので日本はどうするか』という議論だった」とあります。今でも同じでしょうか。そうなれば、政府内のものの考え方そのものが…。
柳澤: 私はそれを、日米同盟を維持する「バカの壁(意識的か無意識的かに関わらず、考えるのをやめている境界線)」と呼んでいました。つまり、そこまで議論が行くと思考停止になる。昔は幾つか論理的な段階を踏んだところに日米同盟という「バカの壁」があったけれど、今は国家の安全という「バカの壁」が目の前まで迫っています。集団的自衛権も靖国参拝とセットになれば米国も喜ばない。秘密保護法の時も「日本に安全がなければ、国民の知る権利はあったものではないだろう」と…。要するに、まともな批判的な議論、事実の検証すら行われずに物事が進んでいく面も強かった。でも幸いにして米国や国連など止める人が沢山いるから、日本が軍事国家になることはないと思います。特に米国は必ず止めに入るはずです。米国は中国との力関係の変化に直面していますが、中国の軍事力の伸び率が如何に大きくても、今までのストックの力が圧倒的に違うのでまだ米国自身はそんなに心配していません。だけど米国の目から見て原理的に許せないことが二つあります。一つは中国であっても、日本であっても、ロシアであっても、アジアを牛耳る国ができてくることは許せない。米国は日露戦争のとき日本に加勢し、戦争を終わらせた。だけど日本がのさばってくると、今度は日本を叩いた。中国についてはどうかというと、中国が本当にそうなってくれば許せないでしょう。尤も今の米国の特徴は「優柔不断」です。多くの選択肢があると言いながら、実際にはイラク戦争以後、戦争をしていない。とてもできなくなっている。外交的に事を構えることはあっても、どこかで妥協点を見つけ、その妥協を正当化する。シリアの時もそうでしたし、ウクライナの問題も戦争までは発展しないでしょう。対応は難しくなっていますが…。また米国というのは自分の選択で、自分の都合の良い時に、自分の都合の良い目的を掲げて戦争をしている。だから人のせいで、自分がしたくない戦争に巻き込まれるのは絶対に許せない。この二つを米国は建国以来守っています。
片岡: 国家として戦争を行うのであれば、本来、そうあるべきことですね。
柳澤: その前者の鉄則に触れるのが中国、後者の鉄則に触れるのが日本です。その中国でも今、調整が起きています。古の中華の復興というチャイナ・ドリームを追いかけていて、彼らの基準からすると、他の国が侵略だと思っても、昔の状態に戻っただけだから侵略ではない。これは今の世界の基準と離れていて、いつまでも続けられるものではなく、中国の心理バブルという人もいます。経済バブルが下敷きにあって、そこで軍隊も大きくなったし、心理バブルも発生している。だけどどこかで経済バブルが弾けた時に、心理バブルも萎んでいくのか、それとも心理バブルにばかり頼るようになるのか。後者だと中国はちょっと危険な存在になります。この時、経済の失政を取り返そうとするような形の戦争をするならば勝てる相手を選ばなくてはいけない。日本は一定の抵抗力を持っていて簡単に勝てる相手ではないから、もっと弱そうな相手がいい。それだけの力を持つ自衛隊があることは凄いことです。冷戦の当時は、超大国のソ連海軍を太平洋に出さない、封じ込めようとしていいたぐらいの力がある。自信を失う必要はありません。
中国の軍事的拡張は早くからわかっていましたが、私は中国が今のような出方をするとは思っていませんでした。中国が所謂、韜光養晦(国力の無いうちは、国際社会で目立った行動をせずに力を蓄える)という、鄧小平時代からの方針を捨てたというのが2009年頃といわれています。米国も中国の軍備の近代化には着目していたけれど、イラク戦争の頃は米国とも対テロということでは一定の協力関係にあったし、米中間にはWTOの問題くらいで、そんなに大きな政治のイシューがなく…。重点の置きどころの違いがあって、結局、対テロ戦争しか見なかった。また中国がここまで強硬路線に変わってきたのは分析というよりは対応の失敗という側面がありました。第一次安倍政権の時は靖国にも行かずに中国とも関係修復ができた。翌年には東シナ海の共同開発に合意するなど対日融和的なムードもあり、中国にとっても日本にとっても経済成長が最大のイシューでした。だけどその一方で、暮れあたりから中国による領海侵犯が強まります。胡錦濤政権の対日融和への反発のような形で海軍や海洋局が動いていて、中国の中に矛盾があるというという印象でした。それを現在の方向に決定づけたのは、民主党政権の時に船長を捕まえたことです。つまり中国から見れば「日本が強硬策に出た」という格好の口実を手に入れました。更に尖閣の国有化のプロセスの失策もあり…。中国は、いずれそういう方針をとってきたと思うけれども、ただ尖閣がナショナリズムの格好のシンボルとしてこんなに大きなマターになったのは、やはり民主党の失策だと思います。摩擦は起こるのだけど、もっとうまく対応すれば、ここまでならなかった可能性もあると思っています。これは中国にとっては必然的だったというか、統治の面からの必然性は大きかった…。
片岡: 更に日本は日韓問題で、韓国、中国に結果的に大きなカードを与えましたね。
柳澤: そこは米国も一番困っていて、日本は、米国の国益を直接害しているという印象でしょうね。結局、韓国が中国につくということはなく、米国についているしかない。しかし、そこで日本が障害になってきているところが米国は許せない。日韓問題では韓国の李明博大統領の竹島訪問から筋が狂ってきました。もともと李大統領は反日的ではなかったのですが、政権が傾いてくると、ああしたことをせざるをえなくなり、超えてはいけない一線を越えてしまった。それを安倍政権はただ「韓国が悪い」と放置し、更に慰安婦問題や河野談話の見直し、島根県での竹島の日の制定に政府の代表を派遣するなどやり返し、今やお互い様といわれても仕方がない。
片岡: 中国が日韓問題を積極的に利用しているのに対して、この問題に対する米国の動きに積極性があまり感じられません。本来米国は日本、韓国それぞれに対して影響力を表裏で行使できる力をもっていますね。
柳澤: 米国は、昨年秋、バイデン副大統領をはじめ、政権首脳が日韓双方に働きかけていましたが、安倍首相の靖国参拝で台無しになってしまい、本当に怒っていると思います。3月末のオランダでの核保安サミットの機会に、ようやく首脳会談にこぎつけましたが、北朝鮮の核問題に限定したもので、日韓の信頼回復には程遠い状態だと思います。
米国は、慰安婦については” Comfort women”ではなく” sex slave”という用語を公然と使っています。人権問題として厳しい目で見ている証拠です。歴史認識についても、例えば東京裁判の否定や、A級戦犯を合祀する靖国への首相の参拝は、第二次大戦における米国の正統性を否定するものと見ています。中国は、そこにつけ込んできます。韓国が、安全保障で中国につくことはありませんが、経済では、日本がなくとも中国があるという認識ですから、米国が如何に働きかけても韓国から先に折れることはありません。
片岡: 今後、日本はどうしていくべきでしょうか。
柳澤: 少なくとも症状を悪化させるようなことをしてはいけません。その時、気持ちがいいからといって、病気を悪化させるようなことをしてはいけいない。あとは人間の体と同じで、自然の治癒力に任せるしかない面がある。それは凄く時間がかかりますが、民間の色々な交流が救いになります。
昔の中選挙区時代の自民党は派閥の抗争で親分を決めていたので国民の人気には拘泥しなかった。それなりに競争もあり…。しかし、今は国民の人気が全てというようなところがある。鳩山政権も安倍政権も古い自民党の体質に対する国民の不満を代弁しているところは同じで、鳩山政権は左の方から実現しようとして失敗し、今度は安倍政権が右の方から受け皿となり…。どこかで振子は戻っていくものと思うのですが…。国民の人気というポピュリズムの政治になっていますから、政治は国民の気持ちがいいことをやり続けなければならず、事態を鎮静化させることが凄く難しい。結局、どこかで国民が「これではだめだ」と気が付くしかありません。
片岡: 貴重なお話を有難うございました。
~完~
インタビュー後記
今回は後記にかえて、柳澤さんの著書「検証 官邸のイラク戦争 ― 元防衛官僚による批判と自省」の序文の一節をご紹介させて戴きます。
「防衛官僚としての半生を振り返るとき、与えられた状況の中で最善を尽くしたという意味で、職業人としての良心に恥じるところはない。・・・・・イラク戦争は、世界の価値観を揺るがす大きな出来事だった。それをめぐって何度も議論し、考えた。疑問も残っていた。だが、官僚としての仕事はそれが所与の前提として受け入れられたうえで、日米同盟を強化し、自衛隊を国際的に活用するための政策を立案、実行することだった。加えて日々多くの課題を抱えた官僚の立場では、自分の仕事の根本的な意義や価値観を問い直す余裕はなかった。それゆえ、退職した私がなすべきことは、自分自身が関わった政策(多くの場合それらは、疑いもなく正しいと信じていたわけだが)について、問い直すことだと考えた。それが官僚としての職業的良心を貫く所以でもある」
聞き手 片岡 秀太郎
1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。