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「法の支配」の幻想について6

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- 権威に跪く裁判所 -

証拠物の鑑定にまつわる疑惑

 前回に紹介した弘前大学教授殺害事件の第一審に提出された鑑定書には、初めから多くの疑惑があったが、加えて一審での無罪判決が逆転有罪とされた控訴審において結局、有罪の決め手となった多数の鑑定書についてさえも、真犯人の出現によりNの冤罪が明らかにされるまで、繰り返し疑惑が持たれ続けていたという経緯が注目に値する。

検察は、一審冒頭陳述からNを「『獣人』のような異常性格者」「変態性欲者」などとし、多数の鑑定書を提出した上、多くの証人を申請してこれを裏付けようとしたが、弁護側は目撃証言などの信憑性を争うとともに、血痕がついた犯行当時の着衣を犯人が逮捕時まで着用していたことはありえないと主張、特に血痕についてのいくつかの鑑定の矛盾点を含む信憑性を争って弁論を展開した。

ズック靴の鑑定では血液の付着が一旦は否定されたのが、その後付着が認められたり、シャツについても、血痕の色が鑑定ごとに相違したり、血液型の判定が不可能とされていた後に出てきた鑑定では血液型についてまで判断が行われていたり、鑑定結果が二転、三転する有様であった。

開業医の共同鑑定人となった鑑識官は鑑定直後に「Nはシロ」と知人に漏らしていたり、シャツに付着していた班痕は飛沫痕の特徴である星型でなく、ピペットで垂らしたような洋梨型であったり、開業医の医院には試験管が2、3本しかなかったが、人血鑑定には抗ヒト血清沈降素や遠心分離機などが必要であるなど、数々の疑惑が存在していた。これらの点から、物証には押収後人為的に血液が垂らされたという憶測さえ可能であった。

この結果弁護側は権威ある大学による再鑑定を求め、裁判所が物証の再鑑定を東京大学医学部法医学教室の古畑種基教授に依頼した。こうして事件後約一年後に行われた再鑑定で、古畑はシャツの血痕はABO式、MN式、Q式に加え、裁判上は日本で最初に用いられたとされるE式の4つの血液型が、被害者のものと完全に一致し、赤渇色の人血痕は事件現場の畳表の血液と同時期のものと結論づけたのである。さらに、古畑はこの血痕鑑定に加えて、東京工大工学部教授小松勇作の協力を得て、被害者の血液とNのシャツに付着していたとされる血痕が同一人物のものである確率の計算を行った結果、98.5%の確率であったとして実際上同一人物のものであるといえるという鑑定書を提出した。

斯界の権威の鑑定の虚偽性

 古畑は控訴審に出廷した折にもシャツの鑑定につき詳細な解説を行い、血痕の捏造の可能性を否定、血痕の捏造の可能性や他の鑑定との班瘢痕の色の食い違いなどの問題点を一蹴し、極めて微量な試料による極めて複雑な鑑定の可能性についての疑問に関しては「他の方では不可能でも、私なら可能」などと断言、「血液型に関する日本の、否世界の権威者」と自他ともに認める名声による説得力を活用して、控訴審での逆転有罪判決に大きく貢献したとされている。

しかし、古畑の確率論を用いた鑑定については、事実上の循環論法というべき数式によっているなどとする数学者からの疑問も提起されており(半沢英一「数学と冤罪-弘前事件における確率論誤用の解析(今裁判を考える-9-」、『技術と人間』22(5),p64~73,1993‐06)、結局は、真犯人の出現の結果開かれた再審における新たな鑑定の結果、古畑鑑定の信憑性は次第に疑問を持たれるようになった。特に、再審で弁護側の依頼を受けた鑑定人が、古畑の行ったMN式血液型の検出可能期間は最長でも半年程度であり、事件から1年以上経過した時点での鑑定では正確な鑑定は不可能であり、E式血液型に関しても試料量は検出限界を下回っていたとし、さらに古畑鑑定は試料不足を理由に人血鑑定以前の段階を全て省略しているなど、多くの疑問点が指摘された。更に、再審の時点で脳卒中のため入院中の古畑に代わって出廷した鑑定の助手を勤めた医師が何と、古畑鑑定を実際に行い、鑑定書を作成したのは自分であり、古畑はそれを清書した程度と証言するに至り、その信用性は著しく失われることとなった(佐久間哲夫『恐るべき証人―東大法医学教室の事件簿』悠飛社、1991)。

ただし、この再審の審理はこの間に出現した真犯人の裁判との関係などにより二転三転し、再審請求から約6年、事件発生からは4分の1世紀を経た1977年2月15日になって再審判決が下され、ようやくN の無実が認められることとなった。

古畑法医学の末路 

 この事件は冤罪事件としても、捜査当局、検察、裁判官、弁護士、鑑定人など多数関係者の責任の重さは計り知れないものがあるが、再審判決後Nが自己と親族に対する不法行為責任を追及し、国に対して国家賠償を求めた訴訟で、最高裁は最終的に裁判官が「違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、…その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別な事情がある場合」でなければ国の損害賠償責任は認められないとし、検察官の公訴提起および追行についても「各種証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があった時は」国家賠償法上違法な行為に当たらないとの判決を、全員一致で下している。

これに対しNは、真犯人の自白をさして「殺人犯でも告白しているのに、警察、検察、裁判官の誰一人として謝罪したものがいない」と述べたとされているが、法の素人の読者はどう判断されるでしょうか?

筆者は、1950年代前半の学生時代に当時の東大法学部の学生の間では試験問題は毎回血液型と決まっているところから、いわゆる「楽勝コース」とされながらも、血液型といえば「世界の権威」とされた名声赫々たる古畑先生の講義を拝聴し、目出度く「優」を頂いたがこのシリーズの第三回でふれた田中耕太郎先生と同様、勲一等・文化勲章受章者として名声を欲しい儘にされ、この事件以外にも財田川事件、島田事件、松山事件といった有名な刑事事件といえば、決まって古畑の鑑定が有罪の証拠とされていたが、後にこの3件すべてが逆転無罪となり、筆者の学生当時の名声は次第に地に落ちたようである。Nの有罪を自身の功績と喧伝し、再審まで24刷を重ねたという著書『法医学の話』は版元の岩波書店も「文脈に疑問」として発売停止、絶版にしたと報じられている(読売新聞1977,3,1)。

誤判の責任について考える

 国家賠償請求訴訟における最高裁の判断は、関係公務員、特に裁判官の責任については、「違法又は不当な目的をもって裁判をした」のでない限り認められないというものであるが、そもそも「法の番人」たる裁判官が「違法又は不当な目的」を持って仕事をしていたら堪ったものではないというのが、普通の人、「法の素人」の考え方ではないだろうか? 故意に誤判をする裁判官がいる筈がないだろう。誤判とは間違った判断、つまり過失によるものだろう。法曹の端くれの筆者としては、いくらなんでも、故意に冤罪判決を下す裁判官はわが国にはいないと思いたい。

次回以降では、裁判官の誤判の責任について、より立ち入って考えていくことにする。

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