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遠い共生への道:EUのロマ人

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Jacques Callot. Les Bohemiens: Le départ

移民について、EUのフランス、イタリア、スペイン、さらにアメリカなどの受け入れ国で、急速に制限的、内向き志向への転換が目立つ。フランスは、ついにイスラム系住民の公的生活でのブルカ着用禁止を定めた。

最近、大きな関心を集めているのは、ロマ人(従来ジプシーと呼ばれていた) に関するフランスの対応だ。フランスは国内に不法滞在しているロマ人などのキャンプを撤去する措置に出た。その対象になるのは国内に滞在しながら、法の定める3ヶ月の間に定職に就けなかった者だ。国内労働者でも、就職が厳しい状況で、この措置は強制退去に等しい。ヨーロッパ全体に居住するロマ人は、1100万人近くになる。

西欧諸国の中には、これまでも、自国内のロマ人不法滞在者に強制送還という直接手段に訴えてきた国もある。たとえば、イタリアなどはそれに近い対応をとってきた。このたびは、フランスが類似した手段に訴えようとしている。フランス国内に滞在するロマ人に、現金の移住費用を与えて、「自主送還」という形で国外退去させるという方法である。

フランス人の反外国人感情は高まっており、世論調査などでは、フランス人の半数近くが送還に賛成しているという。フランス内務省の当初の通達内示では、警察が率先して300近いロマ人のキャンプを撤去せよということになっていたようだ。しかし、これがEU司法部などの目にとまったようで、フランス側は急遽該当部分を抹消したが、一時はかなりの政治的論駁の的となった。なにしろ、今はEUが「ロマ人と共生する10年」と定めて、努力の最中なのだから。

ロマ人の問題は、彼らが単に貧困であることに加えて、さまざまな形で迫害の対象とされてきたことにある。これについては旧大陸ヨーロッパで、長い歴史の中でつくり出され、固定化したという事情もある。ヨーロッパから新大陸アメリカへ渡ったロマ人は、こうした迫害や差別をほとんど意識していない。

 自由と平等、人権重視を標榜しながらも、フランスはしばしば言行不一致な行動に出る。それもかなり強圧的と思われる手段に訴える。ヨーロッパを放浪するロマ人と彼らが滞在する地におけるさまざまな軋轢は、10世紀頃から本質的に変わることなく続いてきた。まるでブレヒトの『肝っ玉おっ母と子供たち』の世界だ。相変わらず、わずかな家財道具を積んだ荷馬車を牽いて、ヨーロッパ国内放浪の旅を続けている。EUが成立する以前は、ロマ人の問題は主として東欧側の諸国に限られていた。しかし、EUの成立・拡大とともに、問題は全ヨーロッパへと拡大した。すなわち、彼らの西方への移動とともに、貧困、犯罪、塵芥放棄などのマイナス面が持ち込まれるという問題が生じた。こうした問題は、定住の地を持たない彼らが放浪の旅を続ける過程で生まれたものだ。東欧諸国で続いた国家分裂、内戦が、彼らの置かれた立場を深刻化させた事情もある。

 現在起きていることは、EUが加盟国を拡大すれば必然的に起きる問題だ。定職につくことが出来ず、国境を越えて流浪の旅を繰り返すロマ人たちは、少しでも豊かさの期待できる地へやってくる。しかし、彼らがつける職はなく、定住の地も与えられない。結局、不況などを契機に社会的軋轢が高まると、出身国への強制送還措置などが実施されてきた。人口比でロマ人が多いルーマニアやブルガリアなどに追い戻される。しかし、そこにも永住の地はない。定住の地が保証されないために、教育を受ける機会も十分ではない。安定した職業に就く者も少なく、現代の産業が要求するような熟練も身につかない。建築現場での下働き、鍋釜の修理、刃物研ぎなどの簡単な仕事だ。それもしばしば歓迎されない。結局、彼らはこれまでのように放浪の旅を続けることになる。何ら進歩のない同じことの繰り返しが続いてきた。

 「教育」と「仕事」はここでも事態改善のための最重要な政策手段と考えられている。しかし、ながらく大家族での生活に慣れているロマ人、とりわけ母親は、子供の「教育」よりも「仕事」を最優先しがちだ。しかし、彼らが就くことが多い低質、低賃金の仕事は、不熟練労働であり、将来性がない。義務教育への就学率はきわめて低い。

最近発表されたEU統計局の2009年1月現在のEU域内居住の外国人は3186万人、全人口の6.4%、前年比で0.2%増加している。外国人比率の高いのは、ルクセンブルグの約44%、ラトビア、キプロスの16-17%、スペインの12%、イタリアの6.5%などだ。域内外からの人口移動は、さまざまな規制や差別の壁を乗り越えて増えている。人のグローバル化は、止めることは不可能に近い。

EUが域内の人の移動を認める限り、同じことは繰り返し起こる。ブラッセルがいかに強硬な指令を出そうとも、実態はほとんど変わることはない。彼らに安定した生活の場を保証できないかぎり、彼らの間に深く浸透した貧困と差別の実態は基本的に改善されることがない。定住の場と教育の機会を十分に与える以外に解決の道はない。しかし、その道がいかに困難であるかは、これまでの歴史が明白に示している。「共生」は言うはやすくして、実現にはとてつもない努力が求められる。

 日本においても日系ブラジル人などの間で、未就学児童が多い。外国人に対する閉鎖性が強い日本だが、人口構造の変化を考えれば、少しずつでも「共生」の経験を積み重ねる以外に、この国の活力を維持して行く道はない。「共生」経験の不足は、閉鎖性の強化につながる悪循環を生むだけだ。


Reference

‘Hot meals for hard cases.’ The Economist September 18th 2010

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