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多文化主義の彼方には

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閉ざされる国境

アメリカのみならず、ヨーロッパのドイツ、フランスなどで移民受け入れの道標としての「多文化主義」 multi-culturism が揺らいでいる。それぞれの国が直面する問題の背景には各国固有の問題があるが、異なった文化を背負った移民とそれを受け入れている側との間に、摩擦や断裂が目立ってきた。受け入れ国側が「多文化主義」を標榜していると否とを問わず、国境の扉は閉じられようとしている。

その中で注目を集めているのが、1990年10月3日に東西ドイツが再統一してから20年が経過したドイツだ。EU最大の政治・経済力を手中にしたドイツは、域内での発言力を強めた。東西ドイツの統一は、なんとかコントロールできる範囲にまでになった。しかし、他方では依然として大きな問題もある。しかも、国家的管理可能な域を逸脱しかねない難しさを含む。

そのひとつは移民問題である。問題に難しさを加えた根底には、キリスト教とイスラム教の間の壁が横たわっている。多文化主義を掲げた統合は機能せず、ただ分かれて住んでいるだけという現実が存在する。もっとも、ドイツの社会にこうした現実が根を下ろしてから、すでにかなり長い年月が経過している。管理人が移民問題に関心を抱くようになったきっかけのひとつになったのも、この国の移民受け入れの実態と政策のあり方だった。

変容する多文化主義の街

ひとつの例として、フランクフルトの南西の都市、ウイスバーデンのことを思い出した。目抜き通りウエルリッツ街には多くの移民が商店などを開いている。その数は100店以上。40年前はほとんどドイツ人の町だったという。しかし、1968年中頃にゲストワーカーとしてやってきたイタリア人のピザの店が開店後、住人の国籍は増加し25カ国以上になった。トルコ、モロッコ、アフガニスタン、コンゴ、イタリア、パキスタン、ポーランド、アルバニアなどである。しかし、まもなくケバブの店に圧倒され、今日、通りは実質トルコ人の掌握するものになっているとのこと。

ウイスバーデンに限らず、ドイツは大戦後、多くの移民を受け入れてきた。2009年の時点で、人口に占める外国人比率は11.6%とフランスを上回り、アメリカに次ぐ。とりわけトルコからの移民は多く、移民の中でも最大の比率になる。その中にはドイツのパスポートを所持し、なめらかにドイツ語を話すが、どこにいてもヒジャブを着ている「ゲストワーカーの子供」といわれる人たちがいる。彼らはドイツにいながらも、どこかでドイツ人になることを拒否している。

築かれるモスレムの壁

こうした状況で、イスラムの移民と最下層階級の度を過ぎた増加が、近年のドイツの低落をもたらしていると非難する出版物が現れた*。その代表例が、最近までドイツ連邦銀行理事だったザラツイン氏の見解だが、多数の賛成者を得た反面、同氏は理事の座を失った。

最近では、メルケル首相までもが「多文化主義はまったく失敗だった」と発言するまでになっている。ここでの「多文化主義」とは、簡単にいえば、移民はドイツにおいて彼らの独自の文化を再生させることができるという意味だ。たとえていえば、ドイツという花瓶の中で、それぞれの花を咲かせることができるというイメージと考えられる。しかし、ドイツに限ったことではないが「多文化主義」は機能していない。人々は分かれて住んでいるにすぎない。表面的な断裂ばかりでなく、精神的基層は冷え切っている。

他方、ドイツには移民を経済力維持の戦略的要因としなければならない事情がある。ドイツの労働力は減少に向かっており、とりわけ今後の発展を担う熟練労働力の不足は厳しい。これは、ドイツばかりでなく、日本を含めてこれまでの先進国が負う課題でもある。すでに躍進目覚ましい中国やインドに迫られ、追い抜かれつつある。優秀な外国人を誘引するどころか、日本の高度な技術者などが逆に引き抜かれる始末だ。

ドイツへ働きにきた移民の2世、3世の実態は、はかばかしいものではない。教育水準でも、ドイツ人の平均に遠く及ばない。いずれは母国へ戻ると思われた外国人肉体労働者の子供たちが、ドイツの社会の主流へ加わることはきわめて困難だろう。

イスラムといかに生きるか

ドイツ人になろうとしないイスラム教徒への風当たりは強いが、すべてのイスラム教徒が非難の対象になっているわけではない。問題とされているのは、一部の原理主義者、そしてキリスト教、ユダヤ教さらに民主主義への反対者など限られている。ドイツは2000年に移民が市民権を取得する道を開いた。2005年以降、移民は600時間のドイツ語習得を含め「統合へのコース」を受講することを求められている。貧しい国からの配偶者は到着前にドイツについての知識を習得しなければならない。

「ドイツ人であるとはいかなることか」とのドイツ人の考えも変化しなければならない。しかし、多くのドイツ人はその準備ができていない。メルケル首相は「モスクはドイツ文化の「原風景」となるだろう」と述べ、イスラム教徒に対する理解を示しているが、ドイツ人の多くがそこまで達観できるまでには多くの山を越えねばならないだろう。

「統合」 integration、「共存」 co-existence そして「隔離」segregation という概念の相互関係がいかにあるべきか、その答はまだ得られていない。「人種の坩堝」化と「ゲットー」化を生み出す要因はどこにあるか。

先進国の中で、移民問題を国民的論議の課題としてとりあげていないのは日本ぐらいだ。一部の外国の人口学者などからは、人口減少社会を迎え、活力の低下が著しく、将来に不安感が色濃く漂う日本は、移民を受け入れない限り、活力再生の切り札はないとまでいわれている。世界の高いレベルの科学者、専門家、技能労働者を吸引できるような拠点構築を、国家的視野から実施しないかぎり、縮小、衰退の道から脱却することはきわめて難しい。しかし、この国の政府は外国人労働者、移民の問題を国民的議論の課題とすることを極力回避してきた。他の問題と同じように、なるべく大きな議論とせず、なし崩し的に対応することで本質的課題には踏み込まないという姿勢だ。

政治家の質の劣化に国民の失望がつのるばかりのこの頃、移民問題を国家戦略の次元で考えることなど当面考えられないのが、日本の現実だ。他方で人口減少、高齢化は容赦なく進む。日本の高齢化は、すでに危機的段階に達しており、他国がその轍を踏まないようにとの例に挙げられているほどだ。人口に占める外国人比率は、まだ西欧社会よりはるかに低く、受け入れのあり方を検討する余地は十分にのこっているのだが。壁を高く維持するばかりでは、相互理解は決して進まない。しばらくドイツのお手並みを眺めているしか道はないのだろうか。

References

* Thilo Sarrazin (Autor). Deutschland schafft sich ab: Wie wir unser Land aufs Spiel setzen, 2010.

‘Multikulturell? Wir? ‘The Economist November 13th 2010.

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