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『百聞は一投にしかず』 だいじなのは、目標を持って努力すること  杉村英孝

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2016年リオパラリンピックでボッチャ火の玉JAPANの主将を務めた杉村英孝選手にボッチャとの出会いから銀メダリストとなるまでの道のりを聞きました。実は木下財団とボッチャとの関わりは深く、日本にボッチャが持ち込まれたときから木下財団の支援は続いています。ボッチャを英国から持ってきて発展させたのは日本ユニバーサルボッチャ連盟理事長の古賀氏ですが、木下財団は古賀氏の連盟の立ち上げから現在までを支えてきました。全国各地でボッチャの講習会を開いて、光る選手を見つけて育成する。2016年リオパラリンピック 銀メダリストとなった杉村英孝選手もその中の一人です。日本勢のリオパラリンピックでの快挙は木下財団にとっても非常な喜びとなりました。今後も、ボッチャが普及し2020年東京パラリンピックに向け盛り上がるよう応援し続けていきます。みなさまからの応援もよろしくお願いいたします。

 

杉村選手のボッチャとの出会いは高校3年のとき。ボッチャは、気軽に始められて楽しいし、何より頭を使う競技というところが自分に合っていると感じたという。小さい頃から運動が好きで、小1から高3までの12年間を過ごした特別支援学校を卒業した後も身体を動かすことをしたいと、生活指導の先生に相談した。その時初めてボッチャの国際大会のビデオを見た。それがボッチャとの最初の出会いだ。その1年後の2001年、友人から誘われ静岡県の大会に出場した。障がい者スポーツ協会からボールを借りて1週間ほど練習し、感覚を掴んで臨んだ。大坂や東京、全国から選手が集まる中で、団体戦の3位という成績だった。

「ろくに練習もせずにいきなり3位でした。でもその時にいちばん感じたのは、3位になれたという嬉しさより、悔しさでした。なぜなら僕と同じ学校のチームが1位か2位だった。そこに負けたことがいちばん悔しかった。あの時優勝していたらそこで終わっていたかもしれない」と振り返る。そこから、ボッチャへの意気込みが強くなった。

 

ボッチャが外に出るきっかけとなり、そのステージは日本から世界へ

「車いすの僕らは出かけるとなるとすごく大変だし、きっかけがないとむずかしい。そのきっかけを作ってくれたのがボッチャです。練習があるから、大会があるからと出かけては友人に会う。最初は出かけて友人に会うためのツールでした」とおおらかに笑った。

「次第に、集まって練習していた仲間5人くらいでチームを組み、東京の大会に出るようになりました。そこで成績を収めると、もっと大きな大会にという気持ちが芽生えました」

木下財団のボッチャ普及事業で選手の育成をしていた古賀氏の目に留まり、指導を受けるようになって、大会の舞台も日本選手権から国際大会へと変わっていった。

「ボッチャは辞めたいと思ったことはありません。国内にも世界にも、同じ障がいクラスなのにものすごく強い選手がいるし、上には上がいると思い知らされる。でもその度にもっと上にという思いが強くなった。彼らに勝ちたい。だからボッチャは辞められない」とアスリート魂を覗かせる。

 

ロンドンの悔しさが、リオでの銀に

仕事後の日々の練習、強化合宿を経て向かえた2012年ロンドンパラ。団体戦ベスト8に進出したものの準々決勝でポルトガルに惨敗して、世界の壁を感じた。が、そこでいけると実感が沸いた。負けた瞬間からリオへのイメージが始まり、メダルへの覚悟が固まったという。杉村選手にとってそこからの4年間は飛躍の期間となった。

「同じ舞台でリベンジしたい。その想いを持って4年間やってきました。ただ今までと同じことをやっても結果は同じになる。いろいろと新しい試みを取り入れ、ボッチャと正面から向き合ったのは初めてというくらい充実した4年間となりました」

パーソナルトレーナーを付け、二人三脚でリオに向けた戦いをスタートさせた。マイボールを捜しに韓国まで足を運び、シーティング、用具の選定を徹底させ、より安定した投げ方を追究した。投球練習だけでなく、筋トレにも力を入れフィジカル面も強化させた。専任スタッフの専門的知識を参考にさまざまな情報を得、自分に合ったものをチョイスして自分を創っていった。そうして向かえた2016年リオパラリンピック。杉村選手は火の玉JAPANの主将を務め、団体戦で銀メダルを獲得。4年前に決めた夢を実現させた。

「自分がやってきたことに自信がありました。日本選手権で何度も優勝しているライバルの廣瀬君の位置に自分が入り込むことができたし、僕に負けた廣瀬君も悔しかっただろうし、お互い切磋琢磨したこの4年間がリオの結果に繋がったと思います」

この4年間でさらに経験を積み、日本選手権で3回優勝できたことがリオでのいちばんの自信になったという。

 

見据えるのは、東京での金メダル

杉村選手の目はすでに2020年東京パラリンピックに向いている。

「客席が満員の会場でプレーをして金メダルを取って、大会を成功させたい。そのためにも、多くの人にボッチャを知ってもらい、普及させていかなければならない。一過性で終わらせず継続させたい」

普及への使命感も持って臨む覚悟でいる。自身の環境を振り返り、

「一球を投げるためにどれだけの人に支えてもらっているか、常にサポートしてくれる方々への感謝の気持ちは忘れたことがありません。結果を出して恩返しをしたい。僕らってなかなか外に出るきっかけがなく、作るのがむずかしい。ボッチャを始めてからさまざまなところに出かけるようになって社会性も身に付けられました。出会いもあり成長させてもらえたのは大きい。同じような障がいを持っている人にもスポーツを通じて社会参加してもらいたい。ボッチャに限って言うなら、日本の競技力を上げるためにもこれから下からどんどん出てこないといけない」と語った。

 

同じ障がいを持っている方へ

「ボッチャに限らず、目標を持つのがいちばんだいじ。その目標に向かって努力をすること。それに向かっている自分は一人ではないし、支えてくれる人がいるからこそ、常に感謝の気持ちをもって努力してほしい。これから、2020年東京パラリンピックに向けていろんなイベントがあります。ボッチャの魅力は・・・百聞は一投にしかず! 投げてみて楽しさがわかります」と笑顔でエールを送ってくれた。

 

編集後記

杉村選手は、愚直に自分と向き合い、ブレのない強い気持ちを持っている努力の人であり、常に自分の境遇に感謝を持ち、冷静沈着な主将になるべくしてなった人物でした。輝け、杉村!世界は君を待っている!

 

 

木下財団より転載)

 

木下財団

障がいを持った方の笑顔のために。支援を必要とする人を支えたい、という想いから設立され56年目を迎えました。木下財団は、障がい者支援に取り組む団体を応援し、毎年助成を続けています。

理事長 吉田 英機 (学校法人 昭和大学 理事)

設立 昭和37年3月15日
設立者 社団法人新生会理事長 故水野精巳 株式会社木下商店 代表取締役社長 故木下茂
基本財産 5億5千万円

http://www.kinoshita-zaidan.or.jp/

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