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ボルカールールとボルカー氏の思い、そしてJPMorganの巨額損失事件

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  1. はじめに

    米国では、リーマンショックおよびそれに続いた金融危機の再発を防止する観点からドット・フランク法(正式名称:ウォールストリート改革および消費者保護法)を制定(2010年7月)、現在、鋭意施行規則を策定している状況にある(策定を要する規則は398あるが、そのうち現時点までに策定済みのものは108)。同法の内容は、銀行監督体制の再編、システム上重要な金融会社に対する厳格な規制、秩序ある清算手続き等であるが、なかでも預金受入機関に自己勘定でのトレーディングを禁止する等の条項(提唱者の名前を取ってボルカールールと呼ばれている)が、制定時点において賛否両論があり、現時点でも適用のあり方を巡って、金融界と政界(主に民主党系)との間で意見が喰い違っている。本稿では、まず、ボルカールールの争点を明らかにしたうえで、ボルカー氏の同ルールに込めた思い、さらには、去る5月11日に発表されたJPMorgan Chase銀行(以下、「JPMorgan」)の20億ドル(約1,600億円)のデリバティブ取引での損失発生について、ボルカールールとの関係でどう考えるべきかについて、私の意見を述べることとする。

  2. ボルカールールの争点

    1. ボルカールールの概要
      同ルールの基本概念は、中央銀行与信、預金保険および経済困難時の公的資金注入等の納税者の負担により経営が支えられている金融機関は、自己勘定での有価証券トレーディング(proprietary trading)等投機的取引を禁止するというものである。
      具体的には次のとおり。

      1. 自己勘定での有価証券トレーディングの禁止

      2. ヘッジファンド・プライベートエクイティファンドへの出資およびスポンサー行為の禁止

      3. 資産規模の制限~大規模金融会社について、その負債シェアが市場全体の10%以下

      上記制限に関しては、以下の例外事項が規定されている。

      1. 米国連邦政府、政府関連機関および地公体の債券については、購入、売却および取得が認められる。

      2. 引受(underwriting)およびマーケットメイク(値付け)関連取引については、短期間で、顧客のための取引であれば自己勘定で認められる。

      3. ヘッジのための取引および顧客に代って行う取引であれば自己勘定で認められる。

      4. ヘッジファンド等への投資については、中核自己資本の3%までは少額取引として認められる。

    2. ボルカールール適用を巡る争点

      1. 民主党を中心とした政界からは、例外規定の範囲を極力狭くして厳格に適用することを求める意見が多く出されている。

      2. 一方、金融界からはボルカールールを厳しく運用すると、

        1. 市場の流動性が低下し、資本コストが上昇するなど、資源配分が非効率化する

        2. 規制の少ない市場(ファンド・ノンバンク等のシャドーバンキング)への資金が流出する

        3. 海外資本市場との競争が不利となる

        4. 個別金融機関のリスク管理行動に制約を加えることから、却って想定外のシステミックリスクを醸成する可能性がある

        5. ボルカールール遵守のために、膨大な報告の作成および対応要員の確保等コスト負担が大きくなるが、それに見合うメリットはない
          等、様々の弊害があるとする意見が表明されている。

      3. さらに我国金融庁および日銀は、

        1. 外国銀行グループの米国外拠点に対するボルカールールの適用は、グローバルな金融市場の流動性に影響を与える

        2. 規制の適用除外証券が米国債に限定されており、日本国債の市場に対して深刻な悪影響が生じ得る

        3. 短期の為替スワップ取引に対する規制により、米ドルの資金調達が困難になる惧れがある

        とのコメントレターを発出し、対処策を要望している。なお、カナダ、英国、および欧州委員会もほぼ同様の懸念を表明している。

    3. ボルカールール適用のスケジュール

      1. ボルカールールは、ドット・フランク法で法律制定の2年後の2012年7月から適用され、2年間の移行期間を経て、2014年7月から本格的に適用されることとなっていた。

      2. しかし、実際には、施行規則案の主要部分が公表されたのが2011年10月で、これに対するパブリックコメントの締切が2012年2月となった。

      3. 米国連邦準備制度は、2012年4月ボルカールールの適用を2014年7月から開始し、その後、原則2年間の移行期間を経て、2016年から本格的に適用すると公表した。

  3. ボルカールールに関するボルカー氏の思い

    1. ボルカールールに関しては、民主党および“Occupy Wall St.”等の反ウォール街運動家およびこれに同調するメディアが強い支持を表明しているのに対し、米国内外の金融機関および外国銀行監督当局は、概して反対論、慎重論を展開している事が多い。
      ボルカー氏は、財務次官、ニューヨーク連銀総裁および連邦準備制度議長(以下、「連銀議長」)を経験しており、金融事情に精通しているにもかかわらず、何故、金融界の大勢に抗して、ボルカールールの適用を主張するのであろうか。

    2. 私は日銀のNY首席駐在(1994~96年)の折に、ボルカー氏(既に連銀議長から退いていた)から親しくご指導を戴いた。あるパーティーの席で、自己紹介した私に対して、ボルカー氏は、「Central Bankerであるならば、私の事務所に来るべきである」と私を誘ってくれた。それから3~4ヶ月に1回、ミッドタウンにある質素な事務所を訪ね、米国経済・国際金融情勢に関して、広範に意見交換を行うことが出来た。ボルカー氏は、2メートル近い大男であるうえ、いかつい容貌で話し方もぶっきらぼうであるが、応対は大変丁寧で、時折見せる笑顔がとてもチャーミングであった。
      連銀議長としてのボルカー氏は1979年8月、新金融調整方式(操作目標を短期市場金利ではなく、マネーサプライ指標とする方式)により、金融引締政策を断行。その結果、短期市場金利は、1979年の平均11.2%から、1981年には20%に達した。この過程で、政界・産業界から激しい攻撃を受け、連銀内部でもその提案が否決される寸前まで追い込まれたが、1982年まで同政策を続行した。これにより、米国のインフレ率は、1981年の13.5%から1983年には3.2%まで低下、同国経済は活気を取戻した。

    3. ボルカールールに関して、同氏は次の2つの機会にその見解を明らかにしている。

      1. 規制当局に対するコメントレター(2012年2月13日付)
        ボルカールールに関しては、次のとおり4つの反対意見が提起されているが、それらはいずれも十分な根拠を持たない。

        1. 「商業銀行による自己勘定取引は、金融システムにとって重要なリスクではない」との反対意見があるが、自己勘定取引は、本質的に投機的なものであり、重大なリスクを伴うことは明らかである。自己勘定取引だけが危機の原因ではないが、システム上重要な金融機関の自己勘定取引ポジションでの損失発生がその要因の一つであることは事実である。

        2. 「自己勘定取引を制限すると、トレーディング市場での必要な流動性が損なわれる」との反対意見に対しては、高い流動性は、それ自体が投機的な取引を促進する可能性があると考えている。

        3. 「自己勘定取引を制限すると、米国本拠商業銀行の競争上の地位に悪影響を及ぼす」との意見があるが、自己勘定取引の制限は、利益相反のない体制を構築することとなるうえ、銀行の目を顧客のニーズの方に向けさせることにつながるメリットがあると言える。

        4. 「規制案はあまりに複雑で遵守のためのコストが大きい」との主張に対しては、ルール作りの複雑さと潜在的なコストの高さは、現代の金融界における大きな課題であり、ボルカールールもその例外ではない。ただし、大規模金融機関の既存のリスク管理実務には根本的な欠陥があるという事実を見失ってはならない。

        ボルカー氏は、上記反論の前に、ボルカールールを推進するに当っての基本的スタンスについて、以下のように述べている。

        “金融規制に際しては、単純さと明確さが重要な目標である点は私も同意するが、そのためには、銀行業界の建設的な参加が必要である。具体的には、銀行において、広範な内部管理と報告制度の整備が求められる。
        ボルカールールが所期の成果を挙げるためには、その哲学と目的を銀行の経営幹部、特にCEOと取締役会メンバーが十分に理解していることが極めて重要である。さらに、ボルカールールで禁じている自己勘定取引を継続して隠蔽している状況を、上手く炙り出すことが出来る適切な数値指標を考え出す必要がある。もし、銀行幹部が、この規制の原則を明確に理解し、それを実行に移すことが出来るならば、規則はより簡単に、立ち入り検査も緩やかなレベルに止めることが出来る。”

      2. ファイナンシャルタイムズ誌への寄稿(2012年2月14日付)
        この寄稿では、ボルカールールが外国の監督当局から批判されている点および米銀の国際競争力を損なうのではないかとの懸念に対して、反論を行っている。具体的には次のとおり。
        “ボルカールールにより他国の国債市場に損害を与え、ひいては外国政府の資本市場からの資金調達が制約を受けるとの批判があるが、これは、全く見当外れである。EUにおいては、金融機関取引課税の導入が計画されており、さらに英国では、業務限定制度(ring fence ~市場取引および投資銀行業務を中小企業・個人向け金融業務から切り離す制度)の導入が検討されており、これらは、ボルカールールと同じ発想に基づく仕組みではないか。加えて、自己勘定取引は、銀行の保有リスクの性質、職員・幹部の報酬体系および職務忠実の文化(fiduciary culture)に悪影響を与えることは明白である。これでもなお、自己勘定取引は商業銀行の経営を安定させるうえで利便性が高いと言えるのか。また、EU、日本、中国の当局および大銀行から、米銀による他国国債の自己勘定取引の禁止はそれらの国の国債市場の流動性にマイナスの影響があるとの主張が寄せられているが、本気でそう思っているのか。もっとも、自己勘定取引とマーケットメイク取引との差は、より丁寧に説明していく必要がある。”

      3. ボルカー氏の思いと現実の制度改正
        このようにボルカー氏は、米国金融組織の安定性を確保し融危機における納税者負担を軽減させる目的で、銀行等による自己勘定取引の禁止とヘッジファンド等への投資の制限を熱意を込めて主張している。
        その主張は概ね正しいし、一毫の私心もないことは疑いのないところである。ボルカー氏は、1952年ニューヨーク連銀にエコノミストとして入行して以来、極く僅かの例外を除いて、財務省、連邦準備制度等公職にのみ就いて、米国では“生涯を公的任務に捧げた人物(lifetime public servant)”と言われている。
        しかし、現実に出来上がりつつあるボルカールールは、ドット・フランク法では、11ページの規定であるものが、2011年11月および2012年1月に公表された施行規則案は、現実の銀行業務との整合性を図りつつ規制の公平性および抜け穴の防止を考慮するとの観点から、膨大なものになっており、合せて787ページに及んでいる。
        これは、銀行経営陣の建設的な参加を前提に、単純で明確なもので十分であるとのボルカー氏の意向から大きく乖離している。
        誠に残念ながら、彼の純粋な心意気は、政治家、規制当局、および関連業界の利益を代弁するロビイスト等の思惑に掻き回され、大きく傷付いてしまった。
        連銀議長としての偉大な業績を思うと、不憫である。

  4. JPMorganの巨額損失事件

    1. 巨額損失事件の概要

      1. 2012年5月10日、JPMorganは、投資統括室(Chief Investment Office、ロンドン所在)が、クレジットデリバティブ関連取引で、20億ドル(約1600億円)の損失が発生したと発表。現在、損失が生じた取引を手仕舞い中であり、その後の市場価格等の変動によって損失は、倍額の40億ドルに拡大する可能性もあるとのこと。

      2. 本件取引の詳細は、公表すると取引相手であるヘッジファンド等に攻勢を掛けられ損失額が拡大する惧れがあるので公開できない旨説明。
        ウォールストリートジャーナル、ブルームバーグ等の報道を総合すると、同行は、商業不動産貸出、社債、貸出等の証券化商品、国債・地方債等から生じる信用リスクをヘッジする目的で、ロンドン市場で、CDS(クレジット・デリバディブ)商品に投資していたが、次第に信用リスク自体を市場で取引する自己勘定取引を拡大させていった模様。これらCDS商品の価格が、ギリシア情勢の混乱で、自らの判断とは逆の方向に動いたため、損失が発生した。
        自行の投資金額がCDS市場規模に比べ巨大化したため、情勢変化に機敏に対応しポジションを切替えることが出来なかったと言われている。JPMorgan CIOのあるトレーダーは、ロンドンCDS市場で巨額取引を繰返していたため、市場参加者からは「ロンドンの鯨(London Whale)」と呼ばれていた由。

      3. JPMorganに対しては、主たる監督当局であるOCC(Office of the Comptroller of the Currency, 連邦通貨監督官)の他、FRB(連邦準備制度)およびSEC(証券取引委員会)の検査が入っている他、犯罪の有無をチェックするためFBI(連邦捜査局)の捜査も行われているとのこと。

    2. 本事件のボルカールール等への波及

      1. オバマ大統領は、5月14日のTV出演で、質問に答える形で「自己勘定取引を禁止したボルカールールが実施に移されれば、こうした損失の発生は阻止できよう」と語った。

      2. また、エリザベス・ウォーレン教授(ハーバード大ロースクール法、ドット・フランク法の下での消費者保護庁長官に民主党から推されたが、その過激な主張から承認されなかった。本年秋の連邦選挙にはマサチューセッツ州から出馬するとの噂)は、「ウォールストリートは、そのやり方を自分で変える心算はない。従って、ワシントンが、監督の強化と説明責任の充実について真剣に取組む必要がある」(2012年5月19日付Economist誌)と発言。

      3. JPMorgan会長、CEOのダイモン氏は、これまで、リーマンショックおよびその後の金融危機において、経営の健全性を保ち、事業を発展させて来た。
        このため、最強・最良の銀行経営者として、ドット・フランク法の検討過程で、銀行の利益を守る立場から発言して来た(「ドット・フランク法は、経済成長の息の根を止める」)が、今回の事件により、ボルカールール規則制定における発言力は低下するものと思われる。

      4. もっとも、ボルカールールの施行規則は、FRB等の銀行監督当局と金融機関・業界団体等専門家との交渉に入っており、許されるヘッジ業務の適用範囲の縮小等の規制が強化されることは考えられるが、大勢に影響はないと見られる。

      5. なお、JPMorgan等大規模金融機関は、ボルカールールの適用を見越して、既に自己勘定取引部門の閉鎖、ヘッジファンドの出資額の削減等の対応を開始している。

    3. 本巨額損失事件の監督全般体制への影響

      1. 本件を受け、金融機関監督に関連して、次の2点を指摘する向きもある(2012年5月12日付Economist誌)。

        1. 銀行取引に対し、監督当局および会計事務所は、複雑な金融取引について評価・公表方法の向上を促す必要がある。本件損失発表の過程でダイモンCEOは、他に10億ドルの実現利益と80億ドルの未実現利益(評価利益)があると表明しており、実態は不明。

        2. 低金利が長期化している状況では、銀行は安全な資産から収益を稼得することが難しくなっている。従って、他のリスクを取って収益を上げることに傾き勝ちである。

      2. 私個人としては、グローバル化した変化の激しい金融環境の下で、長期的に金融の健全性を確保するためには、詳細・厳格な規制を設けて金融機関の行動を縛ることではなく

        1. 自己資本の要求水準を高目に設定し、取引損失が発生した際の損失吸収力を高めておく

        2. 自己資本水準とリスク管理能力を踏まえて、各金融分野・取引毎に取り得るリスクの上限を定め公表する

        3. 監督当局の給与水準を引き上げ、その人材の質を大幅に向上させ、監督内容をディスクローズするとの条件付きで、監督当局の裁量権限を強化することが必要である

        と愚考する次第である。

以上

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