右脳インタビュー 松元崇
片岡: 今月の右脳インタビューは松元崇さんです。それでは「リスク・オン経済」についてお聞きしながらインタビューを始めたいと思います。
松元: 最近、経済ニュースでもリスク・オン、リスク・オフという言葉が普通に使われるようになってきていますが、リスク・オフでは安全資産に、リスク・オンになると収益が高いものをめがけて資金がグローバルに流れる。そういう経済をリスク・オン経済といいます。こうした経済では、ファンダメンタルズが為替に影響するのではなく、逆に為替がファンダメンタルズに影響を与えることが多くなっています。そのような現実の中では、ファンダメンタルズから決まってくる円の水準がどこかを議論しても、およそ意味がありません。
ベルリンの壁が崩壊する前にはグローバルに資金がどんどん流れる経済はありえませんでした。南北問題が言われ続けましたが、従来の経済学では「先進国がODAでインフラを整備すれば、後は民間資金が流れてきてテイク・オフして経済成長する」という話だったのですが、うまくいったのは韓国や台湾といった例外的な国だけです。むしろ先進国の方が順調に成長し、どうしても発展途上国の成長率は先進国を上回りません。これは、一つには、冷戦構造の中で資金が東側の国には流れないというだけでなく、革命の輸出になるのも困るということもありました。こうした援助の中で、ちょっとうまくやる人が大儲けして貧富の差が激しくなって…市場経済の歪みだといって革命的な運動が起こり、社会が不安定になる。そうなると民間資金も流れていきません。先進国の人口は世界の15%しかなく、その先進国しか順調に発展しないとなると、どうしても物不足になってインフレになる時代が、ずっと続きました。
ところがベルリンの壁が崩壊して、社会主義諸国が崩壊すると、先進国の企業が色々なところに行って色々なものを作るようになった。ITの発達による製造業のモジュール化が、それを助けます。そんな中で、世界中が成長しだした。そして、発展途上国の成長が先進国を上回った。キャッチアップする側の成長率が高い世界はある意味で当たり前の世界ですが、それがようやく実現しました。
そうして先進国は、かつてはインフレだけを心配していたのが、今はデフレも心配しなければならなくなった。しかし、これまでの経済学はインフレを抑えて順調な成長を実現することを目標に構築されていて、デフレをどうやって抑えるかという理論はありません。国際経済といっても基本的には一国の経済をどうやって成長させるかという理論でした。そういう中で日本だけがデフレになってしまった。そして、発展途上国の成長にともなって先進国が1,2割のシェアダウンは仕方がなかったのですが、日本だけは4割もシェアダウンしてしまった。特に酷かったのはリーマン・ショック後、他の国々が量的金融緩和を行う中、日本だけが行わず、どんどん円が高くなり、国内は空洞化していきました。
ここで、ベルリンの壁崩壊の頃から世界中が金余りになってきていて、1980年頃は世界のGDPと同じぐらいだった金融資産が、今やGDPの3倍程となっているお話をします。昔は資金不足でしたから、日銀が窓口規制を緩めるとお金が流れ、占めると止まる。そうやってコントロールし、インフレを回避し、安定させてきました。しかし、金余りになると、「緩めても流れない。だから量的金融緩和を行ってもお金はマーケットに流れていかない。流れていかないから効くはずがない、効かないけれども将来インフレになるかもしれない…」というような議論がなされていました。従来の理論だったら確かにそうです。このため日本はなかなか量的金融緩和ができなかった…。しかしながら、世界はリスク・オンだ、リスク・オフだという認識で資金が動きまわるという世界になってきてしまっている。中央銀行としてはマーケットとの対話で、それを安定させるようにしていかないといけない。その一つの手段として量的金融緩和が登場してきているのです。ちなみに、リスク・オン、リスク・オフという認識は、どちらかというとマーケット自身を不安定化させる方向に働くとなると、それをモデル化することできません。それでも現実にグローバルな資金の流れがそうやって動いているのですから、中央銀行は、そういった中でも、できるだけマーケットが安定するように量的金融緩和も伝統的経済政策もどちらも使ってやる、デフレにならないように、時には思い切ってやらなければならない。
これがアベノミクスの第一の矢の量的金融緩和です。つまり、「リスク・オン経済になっているのだから、それに適合するような政策をとった」のがアベノミクスです。従来の理論ではこういう話は出てこないので、なかなか理解されません。しかし、アベノミクスを実際にやってみたら、まさに経済もよくなってきて株価も上がってきたし、失業率も下がってきた。効いている証拠だと思います。
片岡: 金融政策の意味合いは、その道のプロといわれる人々にもなかなか理解されにくいものだそうですね。
松元: ですから、最終的には自助努力、企業は企業、個人は個人と自分たちの仕事をしっかりやるしかありません。ただ、理解されにくいことを議論してもらうために国会議員や県会議員を選んでいるのですから、その人たちに、しっかり議論してもらうことは必要でしょう
片岡: モデル化もできない、従来の理論とも異なり、前例もない、それを、これだけの規模でやるのですから、ある意味で、思い切ったリスクテイクをした、或は、そうせざるを得なかったということでしょうか。
松元: とるべきリスクを取らないということもリスクです。だから米欧が量的金融緩和をやった時に、日本だけやらなかったということは、物凄いリスクをとっていたということで、現にリスクが顕在化し、日本は空洞化していきました。ですからリスクをとったというよりも、今までリスクを取らないという形で溜め込んできたリスクをなくしたともいえます。また経済学の教科書に載っている通りにやればリスクが低いかといえば、教科書が前提としている「資金不足でインフレを心配する」という世界は、今は「金余りでデフレを心配する」という正反対のものになっています。全く正反対の状態を前提として出来上がった経済学から出てきた処方箋を当てはめること自体も物凄いリスクです。何らかのモデル分析が出来なかったのかというご質問があるかもしれませんが、政府としても行ったモデル分析から、デフレと円高の悪循環への対応として、我が国も米欧のような思い切った金融政策を導入すべきだというような結論にまで至ることはありませんでした。そもそもモデルには、一定の価値判断が含まれていますので、モデルの分析から一定の政策的な結論を導き出すことは難しいものです。
日銀の黒田総裁は、今はとにかくデフレから脱却しなければならないので、マーケットと対話をしながら不退転の決意で量的金融緩和をやっています。アベノミクスの成長戦略の柱は日本を世界で最も企業が活動しやすい国にするということです。リーマン・ショックの後、日本は一国だけの円高で、ある意味で企業が最も活動しにくい国になってしまいました。そういうことはもうしない。法人税率もそうです。世界の国が下げていったら日本も下げる…。競争条件を同じにしないといけません。リーマン・ショック後、日本企業も、日本の工場をたたんで海外で工場を作ったり…ノウハウを随分身に付けました。また日本では潰れそうというのでもなければ、なかなか解雇はできません。欧米は生産がなくなったらその工場の従業員は解雇できます。この状況の下では、グローバルな厳しい競争の中で、諸外国の企業のような機動的な経営をするには、日本企業は、国内の工場で作るのはコアの部分だけで、そうではない部分は海外で作って機動的に動かせるようにした方がいいとなってしまいます。そうならないために、日本でも生産がなくなったら従業員を解雇できるようにということが考えられますが、ヨーロッパは社会保障が、アメリカは再雇用市場がしっかりしていますが、日本はそんなことありません。その状況で、クビにされると家族が路頭に迷う悲劇となる。そんなことはできせん。そうならないようにするためには、日本の人生後半の社会保障制度を見直さないといけない。人生の前半を殆ど見ていないので、こうしたことを見直し、きちんとしないといけないと思います。政労使会議の議題は大きくいって二つあって、一つは賃上げで、もう一つは雇用の在り方を見直し、日本の企業の競争要件を整え、そして労働者にとってもいいような仕組みを創れないかというものでしたが、その部分は、ほとんど議論されませんでした。
片岡: 既得権益がぶつかりますね。
松元: 結局、労働側も「そういうことを言いながら、使い捨てにするでしょう」といって議論が進まなかった…。結果として、コマツの坂根正弘相談役が日経の「私の履歴書」に書いているようなことが日本中で続いています。『米国が深刻な不況になった時に、米国の工場を閉鎖する話が出ましたが、6工場のうち5工場は米ドレッサー社から引き継いだもので、テネシー州のチャタヌガ工場はコマツが立ち上げたものだったので、チャタヌガ工場だけはリストラも日本流でやろうと、他工場のように閉鎖や一時解雇はせず、給料を3割カットしながらも全員の雇用を維持した…。半年ほどで景気が戻り、工場は再開。地元社会からは「コマツの経営は素晴らしい」と称賛された』、ところが『その後がいけない。米国市場が立ち直り、増産投資が必要になると、他の工場は投資して雇用も増やしたが、「リストラしない工場」を掲げたチャタヌガでは踏ん切りがつかない。「規模を大きくして、次の不況がきたら対応ができない」という心配が先に立つのだ。結局10年たってみると、他工場が大きく伸びたのに対し、チャタヌガは取り残された…「社員を大切にする」この精神は日本企業が将来とも守るべき大事なことだが、あまりに労働市場の流動性が低いと、会社も個人も身動きが取れなくなり、成長機会を取り逃がす。このジレンマをどう解消するかは、日本全体の課題である』と。まさに2年前我々が立ち上げた政労使会議の問題意識そのものです。企業は、日本国内に新しい工場を作って新しい従業員を雇ったりせず、既存の工場に非正規を雇い入れて、古くなった機械は更新する…。従来の雇用は守られるけれども、全体に順調になった時、もっと大きく雇用を拡大できるはずのものが拡大されない…。この結果、日本の労働者は置いて行かれ、即ち海外の労働者の所得になっていく。結局、労働者のためにもなりません。そこを直していくためにも、セーフティーネットが必要です。ここでしっかりと人も企業も共に成長するというパターンをもう一度作り出せないと、日本企業は成長するけれど日本人の生活は豊かにならないということになってしまいます。
日本は高度成長期、人も企業も共に成長するという基本的なパターンを作り上げてきました。それが終身雇用制度でした。映画「ALLWAYS 三丁目の夕日」の六ちゃん(星野六子)のように地方から集団就職をしてくる学生は金の卵で、だからこそ企業も金の卵に逃げられないように福利厚生を充実させていきました。その結果、ヨーロッパならば国が面倒見るような社会保障制度的なところまで企業が全部面倒を見るようになっていき、国は企業が面倒見ない人生後半だけ面倒見ればよかった。日本型雇用、自助、共助、公助などと言って、安上がりに社会保障ができると、皆が思い込んでいました。でもそれは企業にとっては正規社員が物凄くコスト高になっていったということでもありました。同一労働、同一賃金といっても、ヨーロッパの正規社員は日本の非正規社員と同じだといわれることもあるほどです。荒っぽい言い方をすれば日本の感覚からみると全員が非正規、後は国が社会保障費で面倒を見るという感じです。ベルリンの壁崩壊までは、企業と人がともに成長するという日本の勝ちパターンがうまく働いていたのですが、壁の崩壊後、通用しなくなってしまいました。企業はコストの高い従業員を抱えていては競争できないと非正規の方にどんどん動いていって、正規はコアだけにしました。しかし、日本は社会保障がしっかりしていないから非正規になると、非常に不安定です。そのしわ寄せが、一番いっているのは、離婚して子供を抱えたお母さんたちでしょう。
片岡: 自殺者の話もそうですね。
松元: リストラの波の中で、1990年代の終わりに50歳~64歳の男性の自殺率は倍に跳ね上がりました。その後、この層の自殺率は減少に転じましたが、今度は2000年から2009年の間に20歳~29歳の若年層の自殺率が倍増しました。通常、どの国でも若い人の死因のトップは交通事故等の偶発性のものであるのに対して、我が国では自殺がトップの要因になりました。若い人の自殺率がデフレの期間中に徐々に上昇したことは、金融危機をきっかけに始まったリストラの波が、若者が正社員になりにくい社会を創っていったことを背景とするものでした。そういうことも含めて見直していかないといけないのに、ゆでガエル状態で、リスクを取らないことによって全体のリスクは物凄く大きくなっている。そういう中で、若い人がアニマル・スピリットをもっと発揮して、人生のスタートが非正規でも成功できるようにする。そのためにはセーフティーネットが必要で、雇用についての社会保障制度を見直していかないといけない。それには財政を見直さないといけない。何より国民が納得してやっていかないといけないですから…。
尤も、グローバルに条件を整えるといっても、日本的経営というのはやはりあります。日本型の正規社員、そして企業に対する忠誠心のようなものは絶対になくならない。アメリカみたいにM&Aでどんどん買収されないように、企業防衛もしています。こうしたことを全部なくしたら、アメリカ型なのでしょうが、そうなると日本企業としての強さもなくなる。日本企業としての強さを残しながら、経営の条件はグローバルなスタンダードに揃えていくことが必要です。
片岡: 日本的な経営の強さを残すというのは例えばどういったことでしょうか。
松元: それは生え抜きの社員が現場まで知っている社員が社長になることが基本です。危機になった時には、カルロス・ゴーンさんのように外からトップを連れてきてもいいけど、その周りは生え抜きで固める…。このあたりは、トライアル・アンド・エラー、何が正しいかは試行錯誤しながらやっていくしかない。それがまさにアニマル・スピリットであり、失敗を恐れないということです。また製造業がモジュール化していますから、いろいろな組み合わせができ、その組み合わせもゼロから立ち上げなくてもいいのですから早い。そういう意味で、世の中どんどん変わっています。それに対応して企業も経営スタイルを変えていかないといけないし、国はそういう企業が活動しやすいような環境をしっかり整えていかないといけません。
片岡: 強みが弱みになったり、弱みが強みになったり、まさに大競争が色々なところで繰り返されていく…。
松元: 昔話ですが、私は1978-80年までスタンフォードのビジネス・スクールに通っていました。当時、エズラ・ボーゲルの著書「Japan as No.1」などで、短期の株主の利益を極大化しようという経営をやっているからアメリカは企業も経済もダメだ。日本のように長期的な観点に立って企業経営をしていかないといけないといわれていました。クリントンの時代まではアメリカも日本を物凄く警戒していました。それがベルリンの壁の崩壊、アメリカはビジネスにおいて最強となっていきます。ITバブル後も、リーマン・ショック後もそうです。トマ・ピケティの「21世紀の資本」を見ると、実は1980年ぐらいから、アメリカのトップ10%の所得のシェアはどんどん上がっていました。つまり、スーパー経営者が収益を上げるという今のアメリカのスタイルも始まっていたということです。また当時、ビジネス・スクールはアメリカ以外には基本的になかったのですが、今ではパリにも、シンガポールにも、中国にもあります。日本にもありますが、日本のビジネス・スクールはちょっと違っていますが…。米国も、シンガポールも中国も経営者になりたいという人がやってきて、実際に経営者になっていく。それはモジュール的な経営をやっているからで、経営者もモジュール的に動き回る。でも日本はやっぱりコアのところは、下から積み上げた終身雇用的なところになるので、アメリカ的な経営はできない。でも諸外国がどのような経営になっているかを学ぶためには、外国のビジネス・スクールに行った方がいい。尤も、日本の若い人は結構、自分でどんどん外国に行っていますし、ベンチャーをやりたいという人も結構でてきていて、ずいぶん変わってきていると思います。だいたいベンチャーなんて、米国でもどこでも、100やって99はもともと失敗するものです。ただ米国では、失敗しても、それが経験になって、プラスに評価される。ところが、日本は一度失敗すると・・・。更にお金を借りて個人保証もさせられていると…。ですから、そうした人たちに対するセーフティーネットも必要です。それも制度の見直しの一つです。
そしてベンチャーの成功事例がどんどん出てこないといけないのですが、ところがホリエモンのように、どちらかというと株式分割のようにマネーゲーム的なところで、お金を稼いだ人を持て囃して、その結果、偏見が出てしまった。本来マネーゲームだって悪いことではないのですが、米国はマネーゲームだけではなく、その根っこがあります。日本はその表面だけを持ってきて…。いずれにしてもダメだダメだといってもしょうがありません。アニマル・スピリットのためには、とにかく成功事例をどんどん出していかないといけないのですから。そうしたことに日本もようやくここにきて気が付きつつあって、変わっていくでしょう。いずれにしても、基本は、国内の人材をどう生かすかです。GDPとはそもそも、抽象的なGDPというものがあるのではなく、一人一人が作り出す付加価値を積み上がったものです。三丁目の夕日の時代は企業も人も共に成長していたが、今は、一度、非正規になったら、On the Job Trainingもないから付加価値も所得も上がっていきません。それではいけない。
片岡: 政策全体を見たら、非正規や中小企業などの弱者に対する配分は増えているのでしょうか。
松元: 日本は中小企業を潰さないように物凄く保護しているので生産性が上がらないのではないかという議論もあります。生産性が上がらないから所得も低い…。潰れても、そこにいた人たちが新たなより付加価値の高い職に移り、産業構造が転換されていくようにしようというのを積極的労働市場政策といいます。しかし、日本は産業構造が転換しにくい政策スタイルになっています。特に地方は固定的で、地域独占的になっていて、経営のイノベーションがないので、そこをしっかり競争を入れるようにすれば、日本の生産性はもっと上がると冨山和彦さんはいっています。ただ、そこを変えていくときには痛みが伴う。セーフティーネットがキチンとしていないと、路頭に迷う人が沢山出て社会不安になる。これはまずい。そこで止まっていては国民の意識が変わりません。それでは、政治がリーダシップをとろうとしても、自分で足を引っ張っているようなものになります。
片岡: 財務省は色々な人を動かして、雰囲気を醸造していくのがうまいのでは…。
松元: 財務省は既存の中での利益配分や相互調整をするのは上手です。でも新たに変えていくのは「要求なきところに査定なし」ですから…。例えば、社会保障制度をどう変えていくかというのは、厚生労働省がこうしましょうといってこないと、財務省から社会保障制度をこうしましょうとはなかなか言えません。相互調整する能力はすごく高いのですが、相互調整だけではイノベーションは生まれてきません。それに、本当に財務省の力が強ければ、1000兆円もの赤字を出していません。皆さん、財務省の力を買い被り過ぎています。査定された方にしてみたら、もう財務省には勝てないという心情にもなるのでしょう。ある一定の時間の中で誰かが結論を出さないといけないのですが、財務省は汚れ役も含めてそれを背負っています。汚れ役は力が強くないとできません。とはいえ、どこまで行っても財務省は財務省です。基本的に受身です。いずれにしても、政府は条件を整えるまでで、やっぱり民間企業がしっかりしないといけない。成長戦略のキーワードとして、「民間活力の爆発」といいましたが、成長戦略は余程中身がないからそういったのではなどと評判がよくありませんでした。でもそんなことはありません。色々と民間企業が爆発できるような状況づくりをしていくのが基本なのですから…。
片岡: ところで、ご著書「リスク・オン経済の衝撃」で『「歴史に学ぶ」という言葉があるが、そういって多くの場合に行われているのは、ある種の思い込みを正当化するための歴史の恣意的な利用である。そもそも、同時代のことでもよく分からないのに、ずっと昔のことなら分かると思う方がおかしい』と述べておられますね。
松元: 歴史に限らず、今の世の中だって同じです。歴史になった瞬間に真実が現れることはありません。歴史によって評価が定まるという人がいますが、歴史によって偏見が定まるという話と何が違うのか。学者は、固定観念にとらわれずに、色々な原資料を発掘することによって、色々な見方で「これ違うんじゃないかな」とやるから面白い。科学もそうです。科学は真理を説明してくれると思っている人がいますが、本当に真理がわかってしまったら科学者は失業します。真理がわからないから科学者がいる。そのことを説いたのがソクラテスです。ソクラテスは、アテネの賢いといわれる人たち、政治家や学者のところに行って色々聞いてみたら、どうもあまり賢い気がしない。本当のところどうなのかと議論してみたら、彼らが断言していたことが必ずしもそうではないかもしれないようだ…。そんなソクラテスの後を若い人たちがついてまわっていましたので、「偉そうなことを言っているが、ソクラテスにやっつけられているじゃないか」となって、アテネの治安が乱れた。そんなことをする科学は危険なものです。本当に真理を追求すること、歴史なんて偏見の塊ではないかということはすごく危険なことです。ソクラテスは、「知っているようなことを言っているがあなた本当は知らないのでは」という、無知の知をいって社会を紊乱させたとして裁判にかけられて死刑になった。「そんなことで死刑になるのはばからしいから逃げろ」と旧友のクリトンが看守に賄賂を掴ませて手筈を整えたのに、ソクラテスは「皆が決めたことだから、自分は逃げない」といって、結局毒杯を仰いで死んだ。これが民主主義の基本で、民主主義とはそれくらい危険なものです。「ソクラテスの弁明・クリトン」に書いてあるのはそういう話だと思います。
片岡: 貴重なお話を有難うございました。
~完~ (敬称略)
インタビュー後記
松元さんは現役官僚の時から多くの本を執筆してこられましたが、こうしたケースはまだまだ少数です。我が国は官に大きな力を与えて国を動かす制度をとっています。メリット、デメリット、できる、できないなどありますが、やはりより広く官の顔が見える仕組みを指向していくことが必要ではないでしょうか。
聞き手
片岡 秀太郎
1970年 長崎県生まれ。東京大学工学部卒、大学院修士課程修了。博士課程に在学中、アメリカズカップ・ニッポンチャレンジチームのプロジェクトへの参加を経て、海を愛する夢多き起業家や企業買収家と出会い、その大航海魂に魅せられ起業家を志し、知財問屋 片岡秀太郎商店を設立。