EU難民問題の行方(10)
11月13日金曜日、パリで起きたIS(イスラミック・ステート)による凄惨な同時多発テロ、そしてその実行犯を追いつめて、郊外サン・ドニでおきた惨劇は、射殺された犯人の数を別にすれば、フランス近世の宗教・政治史に残る聖バルテルミーの虐殺(Massacre de la Saint-Barthélemy、1572年8月24日)を思わせる凄まじさだった。サン・ドニでは犯人の立てこもる狭い空間に5000発の銃弾が注ぎ込まれたという。宗教が関わる争いは、しばしば想像を絶するものとなる。
この一連の惨劇に先立って、ヨーロッパに流れ込んだシリアなどからの難民の流れは、急速に行き場所を失いつつあった。国内事情から受け入れができないとする国あるいはEUから割り当てられる難民の受け入れなどに反対して受け入れを拒否する国などが目立ってきた。難民の受け入れ国が急速に少なくなっている過程で、パリの同時多発テロは発生した。その衝撃はすさまじく、また予想もしなかった問題を引き起こした。まず、事実を客観的に見る必要がある。その流れを追ってみたい。その先にEUそして世界が直面するであろう近未来の輪郭が見えてくる。
強まるメルケル首相への圧力
難民とテロリストを同じ次元で考えてはならないことは、いうまでもないことだ。しかし、現実には、過激派組織ISのメンバーなどが難民に紛れて入り込むことを恐れた国々は、次々と難民の受け入れ停止あるいは国境管理を強化するなどの手段で、国境を事実上閉鎖してしまった。
EUの難民受け入れに主導的役割を果たしてきたメルケル首相への風当たりは国内外できわめて厳しくなっている。しかし、テロが起きたからといって、メルケル首相だけにその後の責任を負わせてはならない。EU諸国はこの問題について共同責任があり、加盟国は力を合わせて対応すべきなのだ。加盟国が増えたEUには、エゴイスティックな主張も目立ってきた。
難民受け入れに上限はないとして人道的観点から寛容な姿勢を崩さなかったメルケル首相だが、隣国フランスにおける一連の惨劇には、口に出さずとも大きな衝撃を感じたことだろう。感情を表に出さないことでも知られる首相だが、公的な面でも次第に寡黙になっている。シリアのIS支配地域への空爆要請についても、側面支援に徹し、慎重な対応を維持している。
難民問題については、前回記した通り、トルコのあり方が当面きわめて重要になっている。トルコはEUの東の域外にあり、すでに200万人を越えるシリア、アフガニスタンなどの難民などを受け入れている。この国が政治的にも安定し、EU域外におけるいわば緩衝地帯として、当面シリアなどの難民のEU側への流出抑止の役割をしてくれることを、メルケル首相そしてEUは期待してきた。とりわけドイツはこれまでトルコ移民の最大の受け入れ国として、政治面でも深い関わりを持つ。
トルコは国政選挙も終わり、形の上では与党が過半数を制し、安定を取り戻したかに見えた。しかし、エルドアン大統領にとって予想外の出来事が、トルコを激震地に変え、EUのみならず、その他の世界にとっても難しい国にしてしまった。
東部戦線異状あり
10月24日、トルコ陸軍が、ロシアのスホイ24爆撃機を自国の領空侵犯を理由に撃墜するという事件が起きた。ロシアのプーチン大統領はこれに激怒し、トルコのエルドアン大統領との関係は一挙に険悪なものに変化してしまった。10月にはエジプト発のロシア航空機がISを名乗るものの手で撃墜されたばかりだ。New York Timesなどのメディアが伝えるところでは、ロシア機はシリアのISの制圧のため、シリア国内を飛行中であった。他方、トルコ側によると、ロシア機には領空侵犯の警告を10回したが応じないため撃墜したという。その空域とは距離にしてわずか2マイルほどシリア側に指のように突出した微妙な地域である。撃墜されたロシア機はシリア国内に墜落した。ロシア、トルコが示している当該機の航路は異なっている。 状況からしてロシアとしても当然言い分があろう。真相が明らかにされない段階で、プーチン大統領は、トルコに対する一連の経済措置を発表し、両国間の人と貿易の流れを厳しく制限する動きに出た。(11月28日時点)。ロシアはトルコが明確に撃墜の謝罪をするまで、これらの措置を継続する方針と伝えられる。エルドアン大統領は、この不幸な事件が起きなければよかったのだがと、述べたといわれるが、両者ともに力を誇示したい性格で、譲歩は容易ではない。シリアのアサド政権への考えも一致していない(両者の仲介ができる人といえば、ロシア語が話せ、両国の事情に通じたあの人かもしれない)。
EUの東側最前線は一気に緊張感が強まった。撃墜事件ばかりでなく、トルコは人口の1割近くを占めるといわれる自国のないクルド人との間で、民族間対立が激化し、国内の社会情勢も不安定化している。トルコは長い間、東と西の間にあって安定的な緩衝地帯の役割を果たしてきた。しかし、世俗化してはいるがトルコを含めて中東は、そこに住む人々の思いとは裏腹に荒涼とした風土に変化している。自国の政治体制の弱点を自力回復できない弱みに、外国がつけ込み、覇権争いの場と化している。テロリストも凶暴化する。ISのようなしたたかな過激派組織が空爆で壊滅するとは到底考えがたい。実際、さらなるテロ攻撃が予告されている。
他方、この間、急務となっている難民問題については、トルコは現在国内に滞留している難民、さらにEU諸国に受け入れられずに戻ってくる難民を受け入れる反面、国内に居留するシリアなどの難民のため、30億ユーロ(約3900億円)の財政支援をEUから受けることになった。さらに、トルコが期待するEU加盟計画の交渉再開、自国民のEUへのヴィザなし旅行の迅速化などの成果を得て、EUとの交渉力を回復した面もある。
閉ざされる国境の先に見えるもの
近未来を見通す水晶珠は曇っていて、見えがたい。しかし、あえて目をこらすと、見えてくるものもある。グローバリゼーションとは裏腹に、国境はしたたかに復活し、障壁となっている。テロリズムが雑草のごとく自国内(移民先の国)に生き残るように、国境に象徴される制度もひとたび形成されると、容易には元に戻らない。概観だけを試みれば、次のようだ。
ひとつは20世紀のアメリカのように、一国で世界の覇権を掌中にするような国は無くなっている。アメリカの国力は明らかに劣化しており、次期大統領選の候補者の資質にも露呈している。アメリカ自体がいまだに包括的移民政策が実現しえないでいる。メキシコとの国境はさらに障壁が高まる可能性が高い。
EUは「バルカン化」が強まり、分裂の可能性も高まった。進行途上の加盟国の国境管理の強化は、「シェンゲン協定」を事実上破綻させ、域内での人の移動の自由を目指すEUの理想から逆行している。再びあるべき道に戻るとしても、長い道のりとなろう。そして、その結果はユンケルEU委員長が危惧するように、ユーロの地位低下、消滅につながりかねない。イギリスのように、EU離脱が近づいている国もあり、共同体としてのEUを結びつける靱帯は切れかけている。
世界のその他の地域の状況はさらに厳しいといえよう。アジア、南米、アフリカなどの諸国も、従来の大国との靱帯が脆くなっている点が目立ち、その再編は容易ではない。
数十万の移民・難民が雪空の下を落ち着き場所を求めてさまよう光景は、17世紀のジプシー(ロマ)のキャラヴァンのそれと重なってくる。(10月には20万人を越える人たちが寒風の中、トルコを経由して海を渡り、EU側のギリシャの島々などに避難し、さらに行き先を求めている)。21世紀は17世紀に似た危うさがいたるところに潜む「危機の時代」となりつつある。
続く