Home»連 載»移民政策を追って»断裂深まるアメリカ(7) 

断裂深まるアメリカ(7) 

0
Shares
Pinterest Google+

西部国境異常あり
動乱や戦争は、平和時には隠れて見えなかった社会の暗部を白昼の下にさらけ出す。内戦に近いすさまじい事態が展開しているリビアでは、150万人近い外国人労働者が、社会の底辺部門で働いているという事実が明らかにされた。アフリカや中東諸国あるいはフィリピン、中国など、アジア諸国から働きにきていながら、帰国の手段もない人々が問題になっている。

BBCによると、リビアからチュニジア側へ避難する外国人労働者・難民が大きな危機に瀕してる。リビアの西部国境では、7万人近い避難民が国境近くで入国許可を待っているという。チュニジアは受け入れ能力がなくなり、入国管理も放棄しているようだ。国際移住機関IOMによると、リビアから逃れてきたエジプト人、バングラデッシュ人、ヴェトナム人などの出稼ぎ労働者が、戦火から難を逃れて国境近辺に集まっている。彼らの多くは母国へ帰るすべもなく、夜は道路に寝ているという。

海外出稼ぎ労働者が多いフィリピンは、政府がリビア、バーレーンなどで働きたいという労働者の就労申請を凍結するとともに、これらの国で働く自国労働者を帰国させることにした。しかし、救援は実態に追いつけない。1990年の湾岸戦争の時に、外国人労働者や自国民の帰国支援のために、各国が多くの救援機を送ったことを思い出す方がおられるかもしれない。

高まる反移民の動きと国家の対応
こうした中、アメリカ、EU、そして日本でも外国人(移民)労働者受け入れへの反対が強まっている。アメリカではヒスパニック系移民、EU主要国では、フランス、オランダ、ドイツなどで、主としてイスラーム系移民への反対が高まっている。日本では管内閣は「第三の開国」を標榜しながらも、労働力の本格的受け入れは避けて通っている。中国人観光客の購買力や富裕層のメディカル・ツーリズムなどには大きな期待をしながらも、労働者は受け入れないというのは、かなり矛盾した話だ。人はいらない、金だけ落としてくれというようなものだ。

世界の移民の長期的な流れを観察すると、好不況の波を反映して、移民の数は波動を示しながらも、長期的な傾向としては着実に増加してきた。グローバル化が進行すれば、不可避的に移民労働者も増加する。たとえば観光査証で入国し、期限が失効後も帰国せず、居住してしまう「不法残留者」と呼ばれる人たちが増加することは避けがたい。

多くの先進受け入れ国が、こうした不法残留者の増加を経験している。不法残留者はどこの国にもいるが、ある限度を越えると、国家の秩序維持上もさまざまな問題の種となる。強制送還という強硬策に訴える場合もある。他方、アムネスティ(恩赦)と呼ばれる対策で、一挙に国民に組み入れてしまう手段もあるが、次のアムネスティ発動を期待してかえって不法入国が増加することが懸念され、安易に発動はできない。日本がとっているようなケース・バイ・ケースの対応も、公平性の維持などの点で、透明さに欠ける、裁定をめぐる裁判なども増加し、社会的コストも大きい。

アメリカの状況が示すように、「不法(不規則)残留者」から合法的立場へ移行を認める場合には、従来以上に公平な基準と社会的開示が求められるようになった。

保守化した世論
最近目にしたアメリカでのある世論調査では、移民に対する国民の保守化傾向が目立つ。政府に求める施策で最も高いのは「国境管理の安全性の強化ならびに移民法の強力な施行」であり、回答者の35%近くになる。続いては、すでにアメリカ国内に居住している不法残留者に対して「合法的な地位を与える道を開く」ことで、回答の20%近くを占める。上記施策の二つとも「必要度は同じ」とする回答は、およそ42%である。注目すべき点は国境の障壁を強化する政策について、保守党支持者(賛成55%)、民主党支持者(賛成22%)と大きく対立していることだ。

総体として、かつてのような「開かれたアメリカ」というイメージからは大きく後退、保守化している。その背景として、国内雇用の低迷、麻薬・銃砲などの密輸犯罪の増加、人種的対立などが深刻化していることを指摘できる。

「不法滞在者」について一般的に指摘できることは、滞在時間(年数)が長期化するとともに、いかなる状況で入国したかという問題は、重要さが減少する。たとえば、1970年代のヨーロッパ諸国で採用された「ゲストワーカー」といわれる期間を限定した労働者受け入れ制度は、一定期間の労働の後に帰国を義務づけられた。しかし、石油危機後の混乱の過程を通して、帰国しない者が増加し、なし崩し的に定住者が増加した。

判定基準の具体化へ
その後不法入国阻止のための障壁は高まり、管理体制は強化された。しかし、国内で不法残留者として摘発された場合、定住者として認めるか否かの裁定で、入国時の事情は重要度を減じた。これまでのブログ記事でいくつかの事例を見たが、入国審査を受けないで(あるいは査証など必要書類不保持で)入国したことが後に発覚したからといって、直ちに送還ということでは必ずしもなくなってきた。言い換えると、不法残留者であっても現在働いている国で、どれだけ社会の構成メンバーとしてのコミットメントを深めているかという点に裁定の重点が移っている。

アメリカの事例で見てきたように、入国時は必要な書類不保持で国境を越えているなどの事情があっても、15-20年間、現在いる国で犯罪などにかかわることなく働いてきたという事実があれば、定住を認めるようになっている。その結果、最近は10年ならばほとんど認められるが、1-2年ではまったく認められないというような事例の蓄積を通して、許容できる条件を求めて収斂が進んできた。

こうした推論の政策的含意は、大規模なアムネスティ(恩赦)やケース・バイ・ケースの裁定は望ましくないが、5-7年くらいの期間、犯罪歴もなく、妥当と見られる雇用記録があれば、不法滞在者の状態から市民権付与など、合法的な定住を認める段階への移行を認めてもよいのではないかという考えだ。

不法残留者の場合、その国で経過した時間自体が重要なのではなく、そこでの社会的関わり合い(コミットメント)の程度、結婚、雇用など人間的・社会的生活の形成の実態が重視されるようになってきた。しかし、多数の人たちが対象だから、複雑なアプローチは行政的な点からも効率的ではない。条件が複雑であるほど、裁定に時間を要し、恣意性も介入してくる。アメリカのように1100万人に近い不法残留者に、いかなる具体性を備えた基準をもって対応するかという問題が次の課題として浮上してくる。(続く)。

Previous post

右脳インタビュー 谷岡一郎

Next post

“Too big to fail”は、誤りか