断裂深まるアメリカ(3)
人気復活は可能か
政治の世界は、一寸先は闇なのかもしれない。あの全米を覆った熱狂的支援の下で選ばれたオバマ大統領だが、その後の人気失墜ぶりはすさまじい。ひとたび落ちた偶像が、再び台座に戻るのはきわめて大変なことだ。今はひたすら下院で多数派(2011年1月議会から)となった共和党に譲歩して自らの危機を乗り越えようとしている。最近の税制改革での妥協に如実に見られるように、政策も鋭さを失い、迫力がなくなった。当然の結果だが、目指す方向とは異なった道を選ばねばならない。
このブログでテーマとして注目してきた移民法改革もそのひとつだ。オバマ大統領は2年前の選挙運動中は、移民法の抜本的改革を課題のひとつに掲げ、ヒスパニック系移民から絶大な支持を受けた。しかし、就任後二年間ほとんどなにもなしえなかったことへの反動は大きく、深い傷を負ってしまった。
連邦の無力に業を煮やしたアリゾナ州などでは、不法移民に対する厳しい州法が制定され、連邦対州の対決という困難な課題まで抱え込んでしまった。本来、出入国管理は連邦の管轄下に入る。アリゾナ州、テキサス州などの国境周辺州では、不法移民の大多数を占めるヒスパニック系に対する住民の反発は急速に高まった。本来移民の国として人種の融和が前提のアメリカにおいて、ヒスパニック系対白人・黒人という新たな人種間対立が深まるという事態まで生んでいる。
ぎりぎりの選択
今となっては、ブッシュ大統領政権時に構想されたが未成立に終わった「包括的移民法」の方が、はるかに一貫性を維持していた。追い込まれたオバマ大統領としては当面ブッシュ大統領の構想を、ひとつずつばらばらに立法化するという道しかなさそうだ。とりわけ困難な課題は、1100万人ともいわれるすでにアメリカ国内に居住する不法移民とその家族に、いかに対応するかという問題だ。不況が長引き、彼らが国内労働者の職を奪うという反発も高まっている。
オバマ大統領と民主党は、議席が共和党優位に入れ替わる来年の新議会前に、「優良な不法移民」に永住権を与える DREAM法(the Development, Relief and Education for Alien Minors Act: the DREAM Act)と称する法案の制定に期待し、努力している。しかし、共和党員の反対で成立は難航している。
この法案の対象は、16歳までにアメリカに入国し、高卒か同等以上の学歴を持つ不法移民で、幼少の時に親に連れられて入国したなど、本人に不法滞在の責任を問えない場合だ。犯罪歴などがなく、「素行善良」of good moral character ならば、永住権を申請できる。
オバマ大統領は、不法滞在者のほとんどを対象に、犯罪歴などを審査の上で段階的に市民権を付与する(合法移民化)ことを考えていた。しかし、共和党員の強い反対を考慮して、こうした限定的法案とした。それでも、共和党の支持は得られていない。
DREAM法案が今後どんな帰趨をたどるかはまだ分からない。法案も複数提案されている。しかし、対象が不法移民の一部であれ、ほぼすべてであれ、今後の議論はいかなる基準の下で、不法滞在者を選別、区分するかという点に収斂してゆくだろう。すでに議論が始まっている。そこで、それらの議論の紹介も兼ねて、具体的レヴェルへ下りてみよう。その結果は、不法滞在者の数は少ないが、本質的には同じ問題を抱える日本あるいはヨーロッパにとっても示唆を与えてくれるはずだ。
この問題の難しさはどこにあるのか。具体的事例で、そのありかを考えてみたい*。
事例(1)
メキシコに生まれ育ったミゲル・サンチェスは、メキシコにいる頃は、貧乏で税金も払えないほどだった。アメリカへ出稼ぎに行こうと思い、何度か入国査証の発行を求めたが認められなかった。そこで、2000年に密輸業者の手を借りてメキシコ国境を徒歩で越境し、アメリカに不法入国した。親戚のいるシカゴへ行き、建設工事現場で働き、メキシコの父親へ送金した。週末はダンキン・ドーナッツでアルバイトし、夜学で英語を学んだ。2003年に近所のアメリカ生まれの女性と結婚した。その後、息子が生まれたが、ミゲルは送還の恐れをいつも感じて生活していた。
運転免許証も取得できないので自動車での遠出もできず、航空機にも乗らなかった。息子はメキシコにいる祖父に会ったことがない。今は自宅も保有し、税金も払っている。ミゲルさんのアメリカでの滞在年数は10年を越える。ミゲル・サンチェスに、アメリカ市民権は与えられるべきか。もし、与えるとするならば、いかなる論拠によってか。
救済の道は
現在のアメリカにはミゲル・サンチェスのような状況にある人々の地位を合法化する手立てはない。アメリカには事情は異なっても、正式の滞在許可に必要な書類をなにも所持しない人々が、1100万人近く居住している。彼らはその事実が発覚すれば、本国へ強制送還されることを心のどこかで感じながら毎日を過ごしている。同様な人々は、ヨーロッパ諸国そして数は少ないが日本にもいる。数の点を別にすれば、根底にある問題は同じだ。
こうした人々が抱える問題にいかに対処すべきか。これまで試行錯誤で行われてきたのは、ある年数が経過した後、過去の違法行為を帳消しにしてアムネスティ(恩赦)を与える方法だ。しかし、アムネスティの大きな問題は、一度実施するとそれを期待して不法越境し、次の実施をじっと待つ人たちがかえって増えてしまうという現象が起きる。実際、フランスやアメリカでアムネスティを実施した後、不法滞在者の数は増加した。そのため、安易には導入できない政策手段だ。アメリカでは共和党員のみならず、民主党員の間にも、アムネスティ発動には反対する議員が多い。
代替的手段として浮上したのは、不法移民がある水準に達した段階で、それまで社会的には「隠れた存在」である彼らを審査の上で、段階的に市民権を付与し、目に見える存在へと組み替えることだ。DREAM法案はそのひとつだ。不法滞在者の個別的な背景はかなり異なり、多様化している。論理的な整理が不可欠だ。政策の基本的構成要因となるのはなにか。現在の議論はいかなる段階に来ているのか。いくつかの事例を通して、少しずつ解きほぐしてみよう(続く)。
主な事例は下記の著作および管理人が企画し、実施した日米共同研究の成果に依存している。
* Joseph H. Carens. Immigrants and the Right to Stay, Mass.; MIT Press, 2010.