しぼむ多文化主義の花
オバマ大統領はアメリカにとって、移民政策改革がきわめて重要であることを強調しながらも、最初の4年間の任期中には最小限の施策しか実現できなかった。それでもヒスパニック系移民の投票を確保するにはかなり効果があったようだ。
今回当選後の演説でも、「財政の崖」解消と並び、移民法改革を重要課題としているが、どれだけのことができるだろうか。野党共和党議員の中には、国内に居住する不法滞在者は、本国にいったん送還すべきだとする強硬派も多いので、難航することは疑いない。アメリカの実態についてはかなり誤解もあるが、これまでは世界の中でも一般に「開かれた国」であるというイメージが広く浸透していた。しかし、アメリカに限らず、近年の現実はかなり異なった様相を見せ始めた。。
望ましい国のイメージ
ある国が世界で輝いているかを判断するひとつの指標は、その国へ行ってみたいと思うかどうかではないか。その内容は、その国を旅したい、そこで学びたい、働きたい、できれば移住したいなど、異なるかもしれない。しかし、多くの人が行ってみたい国は総じて魅力があり、輝いている。そこには「希望」が待っていそうな気がする。
移民の歴史が示すように、アメリカは長らくそうしたイメージを世界に発散、時に誇示してきた。世界中から多くの外国人がさまざまな目的をもって集まり、まさに移民で出来上がった国として今日にいたった。アメリカに限らず、豊かで平和な国は優れた人的資源(人材タレント)を受け入れることができる。
国に魅力があれば、世界中の賢い人たち、優れた人材も誘引することができる。そうした人たちの力を借りながら社会を革新し、投資を行い、事業などを拡大することができる。まさにアメリカはその道を歩んで今日にいたった。
日本人のノーベル賞受賞者の中にも、若いころにアメリカで教育を受け、研究活動をされた方がきわめて多いことに気づく。また、管理人がお世話になったり、知人である医師でも、多くの方が海外で研修、研究などの経験を積んで来られた。そうした経験がその後の活動にさまざまなプラスの効果を加えていることは、ほとんど明らかだ。
個人的経験を記すならば、戦後ある時期のアメリカは、世界の人々が最も憧れる国だった。今でもそうかもしれない。日本は敗戦後の壊滅状態から立ち上がりつつあったが、アメリカはどれほど努力しても到底追いつけない国に思えた。この国にいても、自分の目指していることは実現できそうもないように感じた。アメリカへ行きたいという思いは急速に強まり、ある日羽田を飛び立った。成田空港はまだ開港されていなかった時代だった。当時アメリカに来ていた日本人は、数は少なかったが、総じてとにかく良く勉強した。ヴェトナム戦争の最中、アメリカの学生たちも必死に勉強していた。単位を落とすと徴兵が待っていた。その後、ヨーロッパの国にも滞在する機会に恵まれたが、そうした経験が、その後の職業生活や生き方にもたらした効果はきわめて大きいと実感している。
日本の教育・研究環境が貧しかったこともあり、外国、とりわけアメリカへ行きたいという思いはきわめて強かったし、それが実現した時はとてもうれしかった。最近、海外留学に積極的でない若い人たちが多くなったことを知って、いささか理解しかねることもある。海外の主要大学に滞在している日本人は非常に少ない。代わって中国人が圧倒的に増加している。若い世代のひとたちには一度でも、日本と違った国で過ごしてみることを強くお勧めしたい。
「移民流出」
だが、最近、受け入れる側にも以前にみられなかった変化が起きていることにも注意しておきたい。アメリカについてみると、この国の寛容度はかなり変わってしまった。いくつかの理由はあるが、2001年9月11日の出来事は、状況を激変させた最大の要因だ。この日を契機に、アメリカは急速に門戸を閉ざすことになった。
具体的には、グリーンカード〔永住権が得られるヴィザ)が取得しにくくなった。熟練労働者・技術者に交付されるH1-Bヴィザは、企業のスポンサーがなければ取得できない(1999年は10万人以上を受け入れたが、最近は65,000人以下に制限されている)。すでにアメリカで働いている人は、仕事を失うリスクを覚悟しないと転職することはできない。パーマネントな居住許可が難しくなっている。1980年代にアメリカへ来たインド人技術者はグリーンカード取得に18ヶ月を要したが、最近では10年近くかかるといわれている。先が見えないので、思い切ったことができない。学校を卒業しても、仕事がなかなか見つからない。こうした理由で、母国へ帰国してしまう人が増えた。「移民流出」the immigration exodus という現象が指摘されるようになっている。他方、カナダ、オーストラリア、シンガポールなどでは、労働力が不足し、より容易にヴィザを取得できる。
イギリスでも
同様な状況は、イギリスでも起きている。この国では、2015年までにネット(純)の移民受け入れを年間10万人以下に抑える方針を発表している(Immigrants keepout.)。実際には達成は無理といわれているが、2011年、純流入はおよそ36,000人減少し、216,000人になった。ポーランドのような新たにEUに加入した国からの移民労働者が仕事がなく帰国している。イギリス人の海外流出も増加している。オーストラリアなど海外で働くことを目指すイギリス人も増えている。昨年2011年には149,000人が流出し、帰国も少なくなった。
イギリスへの移民が減少している背景には、イギリス経済の停滞、生活費上昇、海外からの雇用、学生のリクルートメント増加などが挙げられている。友人のケンブリッジの教員が、アメリカ、オーストラリアからの学生・教員の誘い、大陸の大学のいわゆるエラスムス計画の魅力などで流出が多く、引き留めに苦慮していると話してくれた。大学などの高等教育はイギリスが国際競争力を持ち、強みとする領域だが、政府の学生ヴィザの発行は絞られており、昨年1年で21%も減少した。経済が上向いているインドなどでも、故国を捨てたディアスポラを呼び戻している。オーストラリアでは家事のお手伝いさん domestic girls にイギリス人を募集している。
経済危機のギリシャ、ポルトガル、スペインなどでは「頭脳流出」brain drain が目立ち、たとえばポルトガルからはブラジルやアンゴラへの出稼ぎが増えている。旧くなった先進国よりも、新興諸国の方が活力があるのだ。
「多文化主義」の行方
さらに、従来「多文化主義」を掲げてきた国が、イスラム教徒との摩擦増加などで、後ろ向きになっている。現代史上、一大事件となった9.11を契機とし、オサマビン・ラディンの暗殺を挟んで、イスラム教徒の労働者の出稼ぎ先国での同化をめぐる軋轢がかつてなく顕著になった。イスラムフォビア(イスラム嫌悪者)と呼ばれる、狂信的なグループが生まれ、しばしば厳しい問題を生み出している。オランダ、デンマーク、ドイツなどほとんどの国が「共生」や「同化」のスローガンを放棄しつつある。「多文化主義」の旗手のひとつだったカナダも、1971年に多文化主義の推進を法律化したが、9.11以降は否定的になってきた。
グローバルな人の流れは明らかに変化している。移民受け入れがもっとも進んでいるとみられてきたドイツは、メルケル首相が「多文化主義」の敗退を認めた。移民の宗教にかかわる摩擦・紛争が容認しがたくなっのだ。ドイツ国内にいるイスラム教徒は、約400万人と推定されている。これまでドイツは移民の社会的「統合」を標榜し、試行錯誤を続けてきた。政府は長らく移民統合の過程で国民に「寛容」を求めてきた。この意味は、ほとんど忍耐に近い意味であったが、ついにその限度が近づいたようだ。「統合」もその政策概念と実態の間に大きなかい離が生まれた。「統合」と「同化」も同じではない。ドイツ人と同じように生きることを強いるのが、現実の姿だ。それが不可能ならば、移民と従来の国民との一体化を求めることはできない。理念と現実の間には大きな距離がある。
こうして、アメリカ,イギリス、ドイツなどかつての人材受け入れ国が、受け入れ制限に傾いている時、日本はどうするのだろうか。国民的次元での議論はほとんどない。国家戦略の重要な課題のひとつのはずなのだが。
世界に優れた人材が多数存在する今、日本がそこにアクセスする努力をしないことは愚かなことに思われる。日本人が気がつかない斬新な発想などを導入して、日本が未だ比較優位を保つ先端技術の研究・産業集積の導入、漁業、林業などの地場産業を活性化する新たな発想が必要ではないか。魅力ある地域づくりなくして、希望の持てる国は生まれない。今こそ、世界の英知を借りる努力をすべきだろう。文化立国なくして、この国にもう花は咲かない。
東電がやっと、「福島本社」の実現に動いたのと同様に、被災地復興を最先端の研究・産業集積で支援する「東北都」の構想はやはり本質的な意味を持つと考えている。遠く離れたところで指図をすることを排し、問題のあるところに対応の主体を移すことは、地域振興政策の鉄則なのだ。