金融危機の真の原因と規制見直しの動き
金融・資本市場は、2008年9月のリーマンショックに続いて2010年4月のギリシャショックに見舞われるなど、大きな混乱が続いている。こうした金融危機の原因として、世上、規制緩和の行き過ぎが挙げられることが多く、危機の再発防止の観点から、規制厳格化の動きが強まっている。この点については、自分自身の中央銀行および格付会社における勤務経験からみて、強い違和感を抱いている。金融危機の真の原因は、監督当局の能力不足と、金融制度・監督制度の設計ミスにあると私は考えており、取られるべき対策も自ら、現在検討されているものとは異なったものになってくる。
当局の監督能力不足としては、まず、2004年に米国SECが行った5大投資銀行に対するネットキャピタルルールの自主規制化に対する不十分な監督が指摘される。SECは自身で制定した自己資本比率に代えて、投資銀行が保有資産のリスクを勘案し、必要にして十分な自己資本を自主的に算定する制度を導入したが、この自主的に算定された自己資本水準について、検証する能力を具備していなかった。この結果、投資銀行のハイレバレッジ経営を看過することになり、ベアスターンズの消滅、リーマンブラザーズの破綻につながった。
さらに、SECはマードフの投資スキームに関しても、その詐欺性を長年に亘って見逃しており、投資家に多大の損失を負わせた。一方でSECは、本年4月、ゴールドマンサックスに対して、同社が組成・販売した合成型のサブプライムローン証券化商品について、特定のヘッジファンド業者が裏付資産となるサブプライムローンの選択に関与したこと、およびその業者がその証券化商品の基となるクレジットデフォルトスワップ(CDS)に関して、デフォルトを予想するポジションを取っていたことを投資家に開示していなかったとして、証券法違反の民事訴訟を提起している。SECが提出した訴状を精読してみたが、素人の目には、本証券化商品に投資したドイツおよびオランダの銀行は、裏付資産に関する詳細な情報および当該CDSのプレミアムが開示されているので、投資すべきか否かの判断は可能であったと思われる。この商品は、合成型でありCDSをベースにしている以上、投資家と反対のポジションをとるヘッジファンド業者がいることは当然想定され、さらに誰が商品組成に関与したかに関係なく、付されている格付が裏付となったローンの信用度等から判断して妥当な水準かどうかを検証すべきであろう。
このように投資判断に関係のない情報が開示されていないことを理由に民事訴訟を提起した点は、全く理解に苦しむ。ちなみに、本件を提訴すべきかどうかに関するSEC委員会の票決は3対2であり、訴訟案件としては極めて異例の1票差であった。
さらに、2008年9月に多額の公的資金投入により救済されたAIGに対するニューヨーク州保険局の監督の質についても、大きな疑問が残るところである。
金融危機をもたらしたもう一つの原因としては、金融制度・監督制度の設計ミス、具体的には銀行監督制度および財政制度を各国の主権に委ねたままで通貨と金融政策の統合をスタートさせたこと、および最後の貸手機能を果さねばならない中央銀行から個別銀行に対する監督権限を剥奪したことが指摘される。前者の結果、ギリシア危機が発生し、後者からは英国ノーザンロック銀行の破綻が生じた。これらの二つの設計ミスについては、現在手直しが鋭意進められているが、危機が発生しないと、十分な対応策が取られないとは悲しい限りである。
現在、米国では、2008年の金融危機の再発を防止することを目的としたドッド・フランク法と名付けられた金融改革法がオバマ政権の後押しを受け、成立に向けて最終局面に差し掛かっている。
この改革法案は、現状の米国金融監督制度が分権的で整合性を欠くものである以上止むを得ないとは言え、中間選挙を目前にした政党および個別政治家の思惑・妥協が作用し、条文数だけは多いが、実効性が期待できないものになりつつある。なかでも、デリバティブ規制については、金融システムにおけるデリバティブの果すべき役割とは全く別の観点から提起された原案に対して、強烈なロビイング活動が行われた結果、現実的な案に変容しつつあるが、これにより当初目論んだ2008年金融危機再発防止が可能となるのか、よく分からなくなっている。
また、預金保険の保護を受ける銀行から自己勘定取引とヘッジファンド業務、プライベートエクイティ業務を切り離し、禁止する案として、ボルカールールが盛り込まれる見通しにあるが、現実的に機能し得る制度に作り上げることが可能かどうか疑問が残る。ボルカー氏については、私も米国勤務時に度々お目に掛かって指導を受けており、その高潔な人柄および公的活動に専念するとの強い信念に対しては、高い敬意を表するものであるが、現在議論されているボルカールールは、対象となっている業務の範囲が定義されていないこと、および日本・欧州が同じ改革を受け入れる可能性が極めて低いことから、法案として成立しても、実施は難しいのでないかと考えている。
金融危機の再発を防止するためには、こうした整合性のない規制色の強い法改正を行うよりは、監督当局に優秀な人材を集め、金融業務掌握能力、リスク分析能力、問題解決能力を高める方が遥かに有効・適切である。如何に厳格な規制・法制を作り上げたとしても、市場経済を前提にする限り、その抜け道を潜ることは必ず行われ、そうした脱法的な行為が広範化すると、公平性は損われ市場の効率は大幅に低下することになる。監督当局に優秀な人材を集めるためには相当の人権費負担を要することになるが、その効果を考慮すると結果的にはコスト安となろう。現時点においては、危機が発生した場合に、その悪影響を最小限に抑えるためには、中央銀行、監督当局に蓄積されたデータを基に、ネットワーク分析の手法等を駆使し、効率的な監視システムを作り上げることが喫緊の課題ではないか。