潮の目変わるか、移民の流れ
移民の流れは変わったか
日本は今、移民(外国人)労働者について、国民的レヴェルで真摯な議論ができる状況にない。福島第一原発、東日本大震災、超円高問題、世界が危惧する膨大な国家債務など、どれをとっても国家の屋台骨を揺るがすような重要問題が山積しているからだ。それでなくとも、日本はこれまで移民問題を国民的議論の対象とすることを極力避けてきた。しかし、ヒト(人)は、この地球を構成する最重要な資源(人的資源)であり、その動向は世界のあり方を定める。人類あっての地球なのだから。その中で、移民労働者はしばしばその行方を見定める先端指標の役割を果たしている。戦後最大の国難の時とはいえ、日本が世界に一定の影響力を持つ国として存在するかぎり、世界の移民の動向がいかなる状況にあるかは、把握しておかねばならない重要課題だ。
今年に入っても、アフリカ・中東での民主化抗争、ノルウエーでの惨劇、アフリカからの不法移民のEU圏流入、メキシコからアメリカへの不法移民、密貿易問題など、移民は世界のいたる所で問題の発火点としてジャーナリズムの前線に登場してきた。注目すべき点は、移民問題が政治、経済、文化、宗教などにリンクして、きわめて複雑になってきたことだ。
一般にヒト、モノ、カネといわれる生産要素の中で、ヒトは自らの意志で独自の行動を起こすので、モノ、カネなどの移動と比較して、はるかに複雑な現象を呈する。その動向も読みがたいところがある。移民あるいは彼らにかかわるグループの政治・経済・文化、そして宗教などについての考えの差異から、しばしば党派的対立、偏執的行動なども生まれる。
ノルウエーでの無差別テロは、そのひとつだった。こうした事件が起きると、受け入れ国は本能的ともいえる対応で、移民受け入れに制限的になり、人々の考えは保守化に傾く。こうした世界のヒトの動き、移民を生み出し、阻止している根源的問題について、多少なりと説得的議論をするとなれば、かなり多くの文献・根拠を視野に入れねばならない。
限界的移民労働者の典型
最近のThe Economist 誌*が挙げている一例を取り上げてみよう。それによると、2000年代半ば、ポーランドからロンドンへ家事労働者(家政婦)として働きに来た女性がいた。当時、ほどほどに活況を呈していたロンドンでは、中産階級の家族は所得増加を目指して、競って働きに出たため、その後を支える家事労働者を必要としたのだ。彼女はそうした家庭を背後で支える家政婦として働きながら、英語学校へ通うだけの収入があった。
ところが、その後の不況で所得は減少し、家政婦の収入だけでは足らず、駅のトイレの清掃をして僅かな金を稼いでいた。しかし、生活はさらに困窮化し、母国ポーランドで教師として働く姉が逆に不足分を仕送りするまでになる。しかし、それでも状況の改善は期待できず、彼女は2010年末にあきらめて帰国する。結局、イギリスでは低熟練の家政婦の仕事についただけで、母国にも仕事がないことを知りながらの帰国となる。
この例は典型的な限界(マージナル)労働者の姿だ。出稼ぎ先国の経済活動の縁辺部門で、調整自由な労働力として本国と出稼ぎ先を行ったり来たりする。これは本人が勝手にとった行動で、送り出し国、受け入れ国の政府や企業などの関係者は責任がないとする単純な見方は、もはや今の世界では通用しない。
渦巻く新たな流れ
他方、視点を変えて、彼女が出国するロンドンの空港では、上海の金融界で一旗揚げようと考える若いイギリス人、カナダのIT産業で働こうと考える中国人技術者、テロ事件で世界を驚愕させたが、産油ブームで活況を呈するノルウエーへ行こうと考えるポルトガル人労働者など、新しいタイプのヒトの流れが渦巻いている。移民という大河の流れは、新しく生まれた奔流で絶えず入れ替わっている。その変化は、ミクロ水準に下りるほど激しい。
たとえば、伝統的な移民送り出し国であったアイルランドは、1989年以降、金融・土木建設産業の興隆で、アメリカなどから帰国する移民、ヨーロッパ諸国からの人材流入で、史上初めて流入が純増を記録するようになった。しかし、2009年以降、金融危機の悪化とともに再びアイルランドからの流出は増加し、昨年も移民フローでは純減が記録された。
こうした流れを注視すると、現在は移民史におけるひとつの転換期に遭遇しているのではないかと思う点がある。急速な発展を続ける中国、インドなどの新興大国の反面で、アメリカ、ヨーロッパ、日本などの先進国は、おしなべて厳しい苦境に直面している。先月の連邦債務問題の議論が示すように、超大国を誇ったアメリカも没落の道を進んでいる。
日本に加わった大きな重荷
日本の立場は特別な面がある。深刻な経済停滞に加えて、東日本大震災、福島原発事故で、日本人が就きたがらない底辺部分の労働を支えてきた外国人(労働者)が大挙帰国してしまった。総体として日本から多数の外国人が退去してしまった。他の先進国のように、移民労働者の帰国促進を図ったり、受け入れ制限的措置の導入に踏み切る以前に、外国人の方が自主的に逃避してしまったのだ。
総じて、これまでの先進国は、急速に移民労働者受入に制限的になっている。典型的なイギリスを見てみよう。イギリスはEU域外からの労働者受入に上限”migration cap” を設定した。キャメロン首相になって、不熟練労働者の受け入れはしない、受け入れる労働者には学力、職歴などでポイントを付して判定するポイント・システムを採用、学生ヴィザも以前より発行・運用が厳しくなった。
最近のイギリスでは、新たに創出された雇用の半数以上が移民労働者によって占められているとの政府筋の発表をめぐり、賛否の議論が湧き上がった。特に経営者側にとっては、新たに生まれた雇用は、高い技能を持った移民労働者を意味することが多いことが、その背景にある。
EU27カ国中23カ国の間には、パスポートなしの自由移動を認めるシェンゲン協定が存在するが、これについても実施面で制限を求める国が増加している。たとえば、デンマークのように犯罪防止と密輸対策の面から、国境管理を厳しくするという動きが出ている。その背後では、デンマーク国民党のような反移民的右翼政党の発言力強化も働いている。
リーマンショック後の不況過程で、スペイン、デンマーク、日本などは母国へ帰国する意思を示した移民労働者に本国までの帰国費用を助成したが、効果は少なかった。スペインの場合、2010年4月までに11,400人の申し出しかなかった。情報の流通速度が飛躍的に高まった今日では、出稼ぎ先で帰国後の雇用状況までかなり把握できるようになり、帰国助成があっても簡単には帰国しないのだ。
唯一、例外は日本だった。福島原発事故の放射能汚染に関わる情報は、驚くべき早さで在日外国人の間に伝わり、予想を超える外国人が急遽離日した。放射能の恐怖は、帰国助成という政策効果の比ではないという日本にとって予想外であり、そして悲しい効果をもたらした。
放射能汚染の問題が存在するかぎり、日本の外国人を誘因する魅力は著しく低下し、その抑止効果はかなり長期にわたり継続するだろう。日本以外にも選択肢は多い。少子高齢化に伴い、将来にわたり日本人学生の増加が期待できない国内の多くの大学・大学院は、中国などアジアからの留学生増加に期待してきた。しかし、その期待は一部を除き、足下から崩れている。たとえば、大学院生は中国系がほとんどという大学院も多かっただけに、再構築は大変だろう。
拡大する中国
他方、オーストラリアの有名国立大学の責任者を務めるある友人は、一時は中国人留学生を学生不足対策の最重要因のひとつとして積極的に受け入れてきたが、今は学内に中国人学生があふれ、英語も話さないでキャンパス生活を送る学生まで現れ、対応に躍起となっている。短時日の間に、中国人の卒業生も急増し、この大学では北京での同窓会を人民大会堂で開催するほどになり、現実にその光景を目のあたりにした大学関係者は驚愕したようだ。
世界最大の移民受け入れ国であるアメリカが移民問題で苦悩していることは、ブログでも再三記してきた。さらに書くべきことは余りに多い。オバマ大統領も「落ちた偶像」になりかかっている。かつてのあの生気に満ち、世界を魅了した演説も神通力を失った。難航した財政債務問題もあり、このままではアメリカも「日本病」になってしまうとの批評すらある。
このように、移民の現状をグローバルな視点で俯瞰すると、2009年から世界全体の移民数は初めて純減したのではないかと推定されている。しかし、移民には移民先国でほぼ定住し、そこに生活の場を確率して動かない部分と、経済変動の緩衝材として流出入を繰り返す部分が併存している。すべてが砂のように流動する存在ではない。
雇用環境の悪化に加えて、経済不振、テロの続発などで、人々は移動を控えるようになっているようだ。それが一時的なものか、かなり継続するものかは、判定にもう少し時を待たねばならない。しかし、人が移動しない世界は、停滞につながる。新しい考え、異なった考え、そして文化を持った人々が、共に活動することで、世界は活性化する。
1ドル=360円時代の海外生活を体験した者として、現在は隔世の感に堪えないが、この円高が大きく円安に振れるとは当面考えられない。企業の海外移転、直接投資は不可避的に進行するだろう。流出する日本の雇用機会をなにで代替し、支えて行くか、次の世代にとって考えねばならない国民的課題だ。中央政府、首都機能のかなりの部分を、東北被災地域に移転し、復興活動を助け、雇用機会を創出し、かつ日本の国家的安定化を図るなど、大胆な構想とその具体化が必要に思えるが、日々伝えられる現実はあまりに遅遅としており、革新的試みが少なすぎる。復興構想会議の内容は、いかに具体化されているのだろうか。国民にはほとんど見えていない。
Reference
“Let them come”, “Moving out, on and back,” The Economist August 27th 2011